「無敵に見えた、そのすぐ後から崩れ始めた帝国は?」海外の掲示板に投げられたこの質問に、180件を超えるコメントがついた。挙がったのはローマやモンゴルのような定番だけではない。王が32歳で急死した途端に将軍たちの奪い合いが始まった帝国、モンゴルの使者を辱めたばかりに国ごと踏み潰された王朝、果ては『スター・ウォーズ』の銀河帝国まで出てくる。そして誰かが帝国の名前を挙げるたびに、「いや、本当の原因はそこじゃない」と別の誰かが割って入ってくるのが、このスレッドの面白いところだ。
元スレッド:r/AskRedditより
海外の反応
1. 名無しのReddit住民
アレクサンドロス大王の帝国は、本人が32歳で死んだ瞬間にバラバラになった。10年ちょっとの遠征でエジプトもペルシアも飲み込んで、インドの入り口まで行ったのにね。あそこまで「一人の人間でもってた帝国」って、ほかにちょっと思いつかない。
2. 名無しのReddit住民(>>1への返信)
死ぬ前から危うかったけどね。インドまで来たところで兵士たちがこれ以上は進まないと言い出して、大王のほうが折れて引き返してる。そもそもあの帝国を長く保てたのかは、誰にも分からないんだよ。戦争や危機が続いてこそ輝くリーダーっているし、落ち着いた国を何十年もかけて治めるアレクサンドロスは、ちょっと想像しにくい。3. 名無しのReddit住民(>>2への返信)
いや、統治もそこそこやれたんじゃないかな。家庭教師がアリストテレスだぞ。当時で言えばアインシュタインに個人授業を受けてたようなもんだ。エジプトをあっさり味方につけてペルシアから引き剥がした手際を見ても、政治の勘は相当あった。カリスマに至っては、その後何千年も並ぶ者がいないレベル。ただ、長生きしてたらかなり傲慢な暴君になってた気はする。4. 名無しのReddit住民(>>1への返信)
バラバラにはなったけど、分け合った将軍たちの国はそのあと何百年も続いてる。セレウコス朝なんか、最初のうちは旧ペルシア帝国の中心部をほぼまるごと押さえてたし、もっと東のギリシャ人の王国があった土地では、ギリシャ彫刻みたいな顔立ちの仏像まで作られるようになる。地中海側の王国を最後に片っ端から飲み込んだのはローマで、飲み込まれた側で一番有名なのがクレオパトラだな。
※ アレクサンドロス大王(前356〜前323)はマケドニア王。前334年に東方遠征を始めてアケメネス朝ペルシアを倒し、エジプトからインダス川流域までを支配したが、インドで兵士に進軍を拒まれて引き返し、前323年にバビロンで急死した。帝国は後継者(ディアドコイ)を名乗る将軍たちの争いで分裂し、エジプトのプトレマイオス朝や西アジアのセレウコス朝などが生まれた。プトレマイオス朝は前30年、女王クレオパトラ7世の死とともにローマに併合された。また、ギリシャ系の王国が置かれた地域の一つである現在のパキスタン北西部のガンダーラ地方では、のちにギリシャ彫刻の影響を受けた仏像が作られた(ガンダーラ美術)。
5. 名無しのReddit住民
アケメネス朝ペルシア。その時点までの人類史で最大の帝国だったのに、アレクサンドロスに攻め込まれてからわずか数年で崩れた。しかも中身がちゃんとしてたのが泣ける。各地に総督を置いて治める仕組みがよくできてて、征服したアレクサンドロス自身がほとんどそのまま使い続けたくらいだ。周りの国の人たちは「あのペルシアが?」って目を疑ったはず。時代の先を行ってた帝国だよ。安らかに眠れ。
※ アケメネス朝ペルシア(前550ごろ〜前330)は、現在のイランを本拠に東はインダス川流域から西はエジプト・小アジアまでを支配した大帝国。州ごとに総督(サトラップ)を置く統治制度で知られる。前334年からのアレクサンドロス大王の遠征に敗れ、前330年に最後の王ダレイオス3世が臣下に殺害されて滅亡した。
6. 名無しのReddit住民
トップが死んだ途端に崩れる、って意味ならフン族のアッティラもかなりのもんだ。東ローマから毎年とんでもない額の貢ぎ物を巻き上げて、西ローマ領にも攻め込んで、ヨーロッパ中を震え上がらせてた。それが453年に本人が急死したら、息子たちは揉めるわ、従えてた部族には反乱されるわで、20年もたたずに帝国ごと跡形もなくなってる。結婚式の夜にぽっくり逝ったと伝わってるのも含めて、あっけなさが桁違い。
※ アッティラ(?〜453)は、5世紀にドナウ川流域(現在のハンガリー周辺)を拠点に大勢力を築いたフン族の王。東ローマ帝国から多額の貢納金を取り立て、451年にはガリア(現在のフランス)、452年にはイタリアに侵攻した。453年の急死後、息子たちの争いと従属していたゲルマン系部族の反乱で、フン族の勢力は急速に崩壊した。
7. 名無しのReddit住民
正直、誤差の範囲でほぼ全部そうでしょ。ローマもオスマンもイギリスもモンゴルも、当時知られてた世界のかなりの部分を押さえてたし、中には何百年も続いた国もある。帝国と呼ばれるほど強くなった国は、その時代の人から見れば永遠に続くとしか思えなかったはず。後から歴史家が「ここでこれが起きて、次にあれが起きたから、崩壊は避けられなかった」と説明するのは簡単だけど、その場にいた人にとってはとんでもない衝撃だったと思うよ。
8. 名無しのReddit住民(>>7への返信)
その4つのうち3つは、崩れたときに誰も驚かなかったんじゃないか。ローマは西が476年に滅んだあとも東が1453年まで続いてて、長い時間をかけて少しずつ終わっていった(東ローマはちゃんとローマ帝国の続きだからな)。オスマンは滅ぶ何十年も前から「ヨーロッパの病人」呼ばわりされてた。モンゴルもチンギス・ハンが死んですぐ崩れたわけじゃなくて、何世代かかけて分かれて、じわじわ薄まっていった。イギリスだけは同意する。
※ ローマ帝国は395年に東西に分かれ、西ローマ帝国は476年に滅亡。東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は、首都コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)が1453年にオスマン帝国に攻略されるまで続いた。オスマン帝国は19世紀に衰退が進んで「ヨーロッパの病人」と呼ばれ、第一次世界大戦に敗れたのち1922年に滅亡した。モンゴル帝国はチンギス・ハンの死後も孫の代まで拡大を続け、13世紀後半には元や各地のハン国に分かれていった。
9. 名無しのReddit住民
ササン朝ペルシアを推したい。7世紀の初めに東ローマと大戦争をやって、エルサレムもエジプトも奪い、ついには首都コンスタンティノープルの対岸まで軍を進めてた。この時点だけ切り取れば、どう見てもペルシアの勝ち。ところがそこから東ローマに逆襲されて負け、両方ボロボロになったところにアラブのイスラーム勢力が現れて、20年ちょっとで国ごと消えた。
※ ササン朝ペルシア(224〜651)は、現在のイラン・イラクを中心に栄えた王朝。ホスロー2世の時代に東ローマ帝国との大戦争(602〜628)で一時エルサレムやエジプトを占領したが、皇帝ヘラクレイオスの反撃に敗れた。直後に始まったイスラーム勢力の征服によって651年に滅亡。奈良の正倉院には、ササン朝ペルシアで作られたとみられるカットガラスの碗(白瑠璃碗)が伝わっている。
10. 名無しのReddit住民
東ローマの滅亡を1453年のオスマンのせいにする人は多いけど、あれは最後の一押しでしかない。本当に効いたのはずっと前で、ペルシアと国が傾くほどの大戦争をやって両方消耗しきった、まさにそのタイミングでイスラーム勢力が一気に広がってきて、シリアやエジプトをごっそり持っていかれた。十字軍が本来の目的そっちのけでコンスタンティノープルを略奪したのも痛すぎる。最後の800年くらいは、ゆっくり坂を下り続けてただけだよ。
11. 名無しのReddit住民(>>10への返信)
800年ずっと下り坂、はさすがに言いすぎ。11世紀の初めにバシレイオス2世が亡くなった頃の東ローマは、ブルガリアを併合して国庫にもたっぷり蓄えがあって、中世では一番勢いのある時期だった。このスレのお題にぴったりなのはむしろそこから先で、半世紀もたたないうちにマンツィケルトの戦いでセルジューク朝に大敗して、皇帝本人が捕虜になってる。アナトリアの大半を失っていくのはそこからだ。
※ バシレイオス2世(在位976〜1025)は第一次ブルガリア帝国を滅ぼし、中世の東ローマ帝国の最盛期を築いた皇帝。死後は政争が続き、1071年のマンツィケルトの戦いで皇帝ロマノス4世がトルコ系のセルジューク朝に敗れて捕虜となった。以後、アナトリア(現在のトルコのアジア側)の大半がトルコ系勢力の手に渡った。また第4回十字軍(1202〜1204)は本来の目的を外れてコンスタンティノープルを攻略・略奪し、東ローマ帝国は1261年まで首都を失った。
12. 名無しのReddit住民
ムガル帝国かな。アウラングゼーブの時代に領土が一番広くなった。広げたこと自体は悪くないんだけど、ああいう国は手に入れた土地を固めて守りきれる強い後継者が続かないと持たない。で、それが続かなかった。そこにイギリスが勢力を伸ばしてきて……あとはお察しのとおり。世界でも指折りの豊かな国だったのに、最後は消えかけの残り火みたいになってた。一番好きな帝国だから、この話になるといつも悲しくなる。
13. 名無しのReddit住民(>>12への返信)
後継者だけのせいにするのは違う気がする。アウラングゼーブ本人が宗教的に厳しい政策を取って、ヒンドゥー教徒やシク教徒の反発を買ってたし、デカン地方でのマラーターとの戦争は、本人が死ぬまで20年以上も終わらずに国力を削り続けてた。イギリスが本格的に勢力を広げる頃には、ムガル皇帝が実際に押さえてたのはデリーの周りくらいだったはず。
※ ムガル帝国(1526〜1858)はインド亜大陸を支配したイスラーム王朝。タージ・マハルを建てたシャー・ジャハーンの子アウラングゼーブ(在位1658〜1707)の時代に最大版図となったが、非ムスリムへの課税の復活などが反発を招き、インド西部を拠点とするヒンドゥー教徒の勢力マラーターとの長い戦争で国力を消耗した。彼の死後は地方勢力の自立が進んで急速に衰え、イギリス東インド会社の進出を許した。1857年のインド大反乱を経て、1858年に滅亡。
14. 名無しのReddit住民
1810年ごろのナポレオンのフランス。ヨーロッパ大陸のほとんどが、フランスが直接治めてるか、逆らえない同盟国かのどっちかだった。オーストリアもプロイセンも頭を押さえつけられてたしね。そこから1812年にロシアに攻め込んで、冬の撤退で大軍がほぼ消滅、たった2年後には退位させられて島流し。頂点からの落ち方が急すぎる。
15. 名無しのReddit住民(>>14への返信)
冬のせいにされがちだけど、モスクワに着く前の夏の行軍の時点で、病気と暑さと脱走で兵がごっそり減ってたらしい。補給が追いつかないほど奥まで攻め込んだ段階で、半分詰んでたんじゃないかな。寒さは最後にとどめを刺しただけ。
※ ナポレオンは1812年、数十万の大軍を率いてロシアに侵攻し、モスクワに入城したものの、補給難と冬の撤退で軍の大半を失った。これをきっかけに各国が反攻に転じ、ナポレオンは1814年に退位してイタリア沖のエルバ島に流された。
16. 名無しのReddit住民
ハンニバルがいた頃のカルタゴを挙げたい。象を連れてアルプスを越えて、カンナエでローマ軍を包囲して壊滅させた頃は、誰がどう見てもカルタゴが勝つ流れだった。ところがローマは何度負けても講和に応じない。結局は北アフリカの本国に乗り込まれて戦争に負け、半世紀ちょっと後には街ごと滅ぼされてる。戦場で勝ち続けても、相手が折れなきゃ意味がないって話だよな。
※ カルタゴは現在のチュニジアを本拠に西地中海の交易を握った国家。第二次ポエニ戦争(前218〜前201)で将軍ハンニバルがアルプスを越えてイタリアへ侵攻し、前216年のカンナエの戦いでローマ軍に歴史的な大勝を収めたが、前202年のザマの戦いに敗れて降伏した。前146年、第三次ポエニ戦争でローマに滅ぼされた。
17. 名無しのReddit住民
アステカがまだ出てないのが意外。スペイン人がやってきた時がちょうど帝国として一番強かった時期で、そこにヨーロッパから持ち込まれた天然痘が襲いかかった。その後の数十年で人口そのものが激減してる。戦争に負けたというより、戦う人間ごと病気に持っていかれたんだよ。
18. 名無しのReddit住民(>>17への返信)
これはもっと上に来ていいコメント。西洋の歴史はどうしてもヨーロッパ側の目線で語られるから、アステカはさらっと流されがちなんだよな。鉄の道具も馬もない状態で、あの規模の国をまとめて回してたのは本当にすごい。技術面では同じ時代の他の帝国よりずっと遅れてたせいで、軽く見られてる気がする。19. 名無しのReddit住民(>>17への返信)
でもアステカって、帝国としてはそんなに長く続いてないんだよ。本格的に広がり始めてから滅びるまで100年もない。しかもスペイン人が来る前から、領土の中に征服しきれてない国が穴みたいに残ってた。コルテスの側について一緒にアステカの都を攻めた先住民の兵士も大勢いたしね。病気だけで片付く話じゃない。
※ アステカ帝国は、テノチティトラン(現在のメキシコシティ)を都にメキシコ中央部を支配した国家で、1428年の三都市同盟の成立から急速に拡大した。1519年にコルテス率いるスペイン人が到来し、天然痘の流行に加え、アステカと敵対していたトラスカラなど先住民勢力の協力も得て、1521年に都を陥落させた。トラスカラはアステカの支配地域に囲まれながら独立を保っていた国。
20. 名無しのReddit住民
ホラズム・シャー朝。13世紀の初めには中央アジアからイランまで押さえた、イスラーム世界でも屈指の大国だった。……国王がチンギス・ハンの使者の髭を剃り落として追い返すまではね。そこからモンゴル軍が国中になだれ込んで、それこそ猫一匹残さない勢いで町という町を潰していった。
21. 名無しのReddit住民(>>20への返信)
そのモンゴルだって、ずっと無敵だったわけじゃない。クビライの時代に南宋まで平らげて絶頂に見えたのに、日本への遠征は2回とも失敗して、2回目は台風で艦隊がやられてる。ベトナムにも何度も押し返されたし、ジャワへの遠征もうまくいかなかった。中国を治めた元の王朝は、結局100年ももたなかった。
※ ホラズム・シャー朝は中央アジアからイランにかけて勢力を広げたイスラーム王朝。1218年、領内のオトラルでモンゴルの隊商が殺害され、抗議に訪れた使者も処刑されたり辱めを受けたりしたことから、1219年にチンギス・ハンの大遠征を招き、主要都市を次々に破壊されて短期間で崩壊した。クビライはチンギス・ハンの孫で、元を建てて1279年に南宋を滅ぼしたが、日本(元寇、1274年・1281年)、ベトナム、ジャワへの遠征はいずれも失敗した。元は1368年、明によって中国本土から追われた。
22. 名無しのReddit住民
スペインの「無敵艦隊」。学校では、1588年にイングランドに負けたところからスペインが転げ落ちた、みたいな流れで習った気がする。でも実際はその後もしばらくヨーロッパ最強クラスの国だった。本当に効いてたのは金の問題で、アメリカ大陸からどれだけ銀が流れ込んでも戦争で全部溶かして、国王が何度も借金の支払い停止に追い込まれてた。名前負けした艦隊より、よっぽどそっちが致命傷だよ。
※ 無敵艦隊(アルマダ)は、スペイン王フェリペ2世が1588年にイングランド侵攻のため派遣した大艦隊。イングランド艦隊との海戦と嵐で大損害を受け、侵攻は失敗した。16世紀のスペインは中南米の植民地から大量の銀を得て「太陽の沈まない国」と呼ばれたが、相次ぐ戦争の出費で王室財政はたびたび破綻した。
23. 名無しのReddit住民
イギリスは19世紀が完全に無敵モードだった。いわゆるパクス・ブリタニカで、海を押さえて世界中に植民地を持って、ヨーロッパ中を巻き込むような大戦争も100年近く起きなかった。それが第二次世界大戦で全部ひっくり返った。まあイギリス人としては、もう帝国じゃなくていいよって気持ちのほうが大きいけどね。
24. 名無しのReddit住民(>>23への返信)
決定打は第二次より第一次世界大戦のほうでしょ。あれで国の財政がボロボロになって、アメリカに巨額の借金を抱えた。地図の上ではまだ世界最大の帝国だったけど、中身はあの時点でもう傾いてて、それが第二次大戦ではっきり表に出ただけ。
※ パクス・ブリタニカ(イギリスによる平和)は、ナポレオン戦争が終わった1815年から第一次世界大戦が始まる1914年ごろまで、イギリスが圧倒的な海軍力と経済力で国際秩序を主導した時代を指す。第一次世界大戦でイギリスは多額の戦費を借り入れ、アメリカに対して巨額の債務を負った。一方で、大英帝国の領土が最大になったのは大戦後の1920年ごろで、世界の陸地のおよそ4分の1に及んだ。
25. 名無しのReddit住民
アメリカ人として白状すると、俺たちは独立戦争が大英帝国の終わりに与えた影響をかなり盛って考えてる。インドの完全な支配も、アフリカ分割も、アヘン戦争も、全部独立戦争より後の話なんだよ。13植民地を失ったあとで、イギリスはむしろ一番大きくなってる。本当に崩れたのは第二次大戦の後で、アメリカと揉めてから150年以上たってからだ。
※ アメリカ独立戦争(1775〜1783)でイギリスは北米の13植民地を失ったが、その後もインド全域の支配、19世紀後半のアフリカ分割、清とのアヘン戦争(1840〜1842)などで勢力を広げ続けた。植民地の独立が相次いだのは、1947年のインド独立をはじめとする第二次世界大戦後のこと。
26. 名無しのReddit住民
清の落差もなかなかのもの。18世紀の乾隆帝の頃は清の領土が一番広かった時期で、人口もどんどん増えてた。イギリスが使節団を送ってきて貿易を広げてくれと頼んだときも、「うちには何でも揃ってるから、そっちの品物は特に要らない」って感じの返事で突っぱねてる。そこから50年もしないうちに、アヘン戦争でそのイギリスに負けてるんだから。
※ 清(1636〜1912)は中国最後の王朝。乾隆帝(在位1735〜1796)の時代に最大版図に達した。1793年、イギリスは貿易拡大を求めてマカートニー使節団を派遣したが、要求は退けられた。その後アヘンの密輸をめぐる対立から1840年にアヘン戦争が起き、敗れた清は1842年の南京条約で香港島を割譲した。
27. 名無しのReddit住民
銀河帝国。ヤヴィンの戦いの前は、あの寄せ集めの反乱軍がデス・スターを吹き飛ばすなんて誰も思ってなかった。それがたった4年後には皇帝本人まで倒されてる。惑星を丸ごと消せる兵器を持ってても、ダメなときはダメなんだな。
28. 名無しのReddit住民(>>27への返信)
まあでも、それは遠い昔、はるか彼方の銀河系で起きた話だから。
※ 『スター・ウォーズ』シリーズに登場する悪の帝国。旧三部作の第1作(1977年)の終盤、ヤヴィンの戦いで反乱同盟軍が巨大要塞デス・スターを破壊し、第3作『ジェダイの帰還』(1983年、公開時の邦題は『ジェダイの復讐』)で皇帝パルパティーンが倒される。「遠い昔、はるか彼方の銀河系で…」は本編の冒頭に毎回表示される決まり文句。
29. 名無しのReddit住民
総力戦にだけは手を出すな。やってる最中は勢いがあって楽しそうに見えるけど、使った金はいつか必ず払わなきゃいけない。征服した相手からひたすら奪い続けられるうちはまだいい。でも広がるのが止まった瞬間に、請求書が一気に回ってくる。
30. 名無しのReddit住民
滅んだ帝国は、結局みんな同じ末路をたどってる。内輪揉めだ。国が帝国と呼ばれるほど大きくなると、上にいる連中はもっと権力が欲しくなる。周りから権力を奪い尽くしたら、今度は身内同士で食い合いを始める。帝国を倒すのは、たいてい城門の外の蛮族じゃなくて中の権力者たちで、普通の市民まで道連れにして一緒に沈んでいくんだよ。
まとめ
挙がった帝国を並べてみると、崩れ方にはいくつかの型がある。ひとつは、頂点に立つ一人がいなくなった途端にほどけてしまう型だ。32歳で急死したアレクサンドロス大王や、本人の死から20年もたたずに帝国が消えたアッティラがこれにあたる。もうひとつは、外から予想もしなかった一撃が来る型で、天然痘に襲われたアステカ、モンゴルを怒らせたホラズム・シャー朝、東ローマとの大戦争を終えた直後にイスラーム勢力に飲み込まれたササン朝が並ぶ。
ただ、このスレッドで一番読みごたえがあるのは、どの答えにもすぐ「本当の原因はそこじゃない」と反論がつくところだ。ナポレオン軍を削ったのは冬か、それとも夏の行軍か。大英帝国の決定打は第二次大戦か、第一次大戦か。スペインは無敵艦隊で負けたのか、財布から崩れていたのか。目立つ敗戦の裏では財政や内部の対立がとっくに進んでいた、という見方が何度も出てくる。大英帝国の領土が最大になったのが、アメリカに巨額の債務を抱えた第一次大戦の直後だったというのは、「無敵に見えた時期」と「実はもう傾いていた時期」が重なりうることを示すいい例だろう。
日本の教科書でおなじみの元寇が、モンゴル側から見た「無敵のほころび」のひとつとして挙がっているのも、海外のスレッドならではの角度だ。皆さんは、歴史の中で「ここが頂点で、ここから崩れ始めた」と感じる瞬間はどこですか?

コメント