RSSヘッドライン

海外「ほら、明かりが見えるでしょ。シェリーが待ってるの」一週間寝たきりの人が立ち上がった夜…

海外「ほら、明かりが見えるでしょ。シェリーが待ってるの」一週間寝たきりの人が立ち上がった夜… その他

ホスピスの看護師、ICUのスタッフ、介護施設の職員、そして深夜にひとりで付き添っていた家族。立場はばらばらなのに、語り口はどれも似ている。淡々としていて、余計な解釈をつけない。「亡くなる人から聞いた、いちばん忘れられない言葉は?」というスレッドに集まったのは、そういう話だった。

迎えに来た誰かの名前を呼ぶ人もいれば、最後の最後まで生きていたときのままの人もいる。医療の側からの説明も、それでも説明しきれないと言う人も両方いた。

元スレッド:r/AskRedditより

海外の反応

1. 名無しのReddit住民
祖母が最期のとき、ベッドの脇にうちのきょうだい夫婦が座ってた。祖母はふっと目を開けて、きょうだいの旦那さんの顔をまじまじ見て一言。「あんた、太ったわね」。それだけ言って目を閉じて、そのまま息を引き取った。

2. 名無しのReddit住民(>>1への返信)
おばあちゃん、去り際にもうひとり仕留めてから行ったのか。狙いも精度も最後まで落ちてない。敬意しかない。

3. 名無しのReddit住民(>>1への返信)
うちの祖母は心不全で、大人になった子ども4人が集まって看取ることになってた。昼になって子どもたちが食事に出ようとしたら、祖母も行くと言い出して。「寝てて、すぐ戻るから」となだめたら、真ん中の娘(つまり俺の母)のほうを見てこう言った。「サリーがその格好で行けるなら、私が行けない理由はないでしょ」。みんなが外に出てる間に昏睡状態に入って、それが最後の言葉になった。

4. 名無しのReddit住民
祖母の最期の言葉、文字通り「もうやってらんないわ」だった。ずっとそういう人だったし、最後まで一ミリもブレなかった。あの一言で、その場にいた全員が泣きながら笑ってた。

5. 名無しのReddit住民(>>4への返信)
うちの父は亡くなる数時間前、顔を近づけろって手招きして、耳元でこう囁いた。「人生でいちばん後悔してるのは、ジョニー・キャッシュを観に行かずにデトロイトのモーターショーに行ったことだ」。それが最後だった。

※ ジョニー・キャッシュ(1932〜2003)はアメリカのカントリー歌手。刑務所での実況録音盤などで知られる、国民的といっていい存在。

6. 名無しのReddit住民
祖父は105歳、肺炎で亡くなった。大恐慌を生き延びて、第二次大戦と朝鮮戦争に従軍して、ラスベガスのカジノが大好きな人だった。神父が最後の祈りに来たとき、祖父はこう言った。「神父様、そこは気にしなくていいですよ。あっちにもこっちにも友達がいるんで」。それからすぐ逝った。

※ カトリックでは危篤の信者に司祭が「病者の塗油」(かつて臨終の秘跡と呼ばれた)を授ける習慣がある。死後どちらに行くのかを意識せざるを得ない場面。

7. 名無しのReddit住民
「怖い。死にたくないよ」。祖母の言葉だ。声が完全に子どもに戻ってて、誰か助けてってすがるみたいな言い方だった。俺には何もできなかった。あの日まで、自分が死ぬのを怖いと思ったことは一度もなかったのに。

8. 名無しのReddit住民(>>7への返信)
歳を取っても、人間の奥のほうはずっと子どものままなんだと思う。みんなどこかで怖がってて、誰かになだめてほしいと思ってる。それは年齢では消えない。

9. 名無しのReddit住民
母は認知症の末期で、食べるのをやめてた。事前指示書があって胃ろうも入れられないから、こちらはただ看取りを待つ形だった。誰のことも分からなくなって、2か月まったく喋らなかった。手をさすりながら話しかけてたら、急に握り返してきて目を開けて、「ああ、私の可愛い子。ぜんぶ綺麗よ。何も心配しなくていいからね。愛してる」って言った。それだけ言ってまた意識が落ちて、20分後に亡くなった。

※ 事前指示書は延命処置をどこまで受けるかを本人が元気なうちに書き残す書類。アメリカでは広く使われていて、家族の希望より優先される。

10. 名無しのReddit住民(>>9への返信)
うちの父も認知症で、何週間も喋ってなかった。酸素が落ちて救急車を呼んだんだけど、病院でマスクを付けようとするたびに看護師の手を払いのけて唸るんだ。母が「普通のマスクにして、眠らせてもらえませんか」と頼んだらそれが正解だったらしく、父は落ち着いた。で、俺と母が医師と話してたら、父が急に半身を起こしてマスクをずらして、はっきりこう言った。「こんなもんに金は払わんぞ」。それから30分ほどで逝った。今でも家族の合言葉になってる。あの人なら絶対に爆笑してる。

11. 名無しのReddit住民
きょうだいが在宅ホスピスで寝たきりだった。その夜は俺が付き添う番だった。一週間ベッドから出てなかったのに、急に立ち上がってこっちを見て「じゃあ、そろそろ行くね」とドアを指さした。慌てて寝かせようとしたら、「ほら、明かりが見えるでしょ。シェリーが向こうで待ってるの」と言う。シェリーは何年も前に亡くなった、仲の良かったいとこだ。なんとかベッドに戻して、誰かに知らせようと立ち上がった瞬間、ひとつ息を吐いて亡くなった。

※ ホスピスは治療より苦痛の緩和を優先する終末期ケア。アメリカでは病院ではなく自宅で受けるケースも多い。

12. 名無しのReddit住民(>>11への返信)
祖母が亡くなる前日、急に元気になった時間があった。頭もはっきりしてて、いとこの赤ん坊を抱いたりしてた。でも日が暮れると疲れが出てきて、窓際まで歩いていって「20年近く前に亡くなった夫が、森からこっちに手招きしてる」と言い出した。翌日に亡くなった。本当にいたかどうかは分からないけど、あの人が安心して逝けたのは確かだと思う。

13. 名無しのReddit住民(>>11への返信)
うちの家系はそういう勘が働くことがあって、特に死に関して。ある晩、父が夕飯の途中で急に「スティーブのところに行ってくる」と言って、皿を残したまま車で10分の家に向かった。スティーブは義理の父で、何週間も昏睡状態だった。父が着いたら、スティーブは待ってたみたいに起き上がって座ってて、二人はごく普通に会話したらしい。父は「みんな心配しすぎだ、あいつは元気だぞ」と言って帰ってきた。父が帰ったあとスティーブは昏睡に戻って、24時間経たずに亡くなった。

※ 亡くなる直前に意識や会話が急にはっきりする現象は「終末期明晰(terminal lucidity)」と呼ばれ、医療・介護の現場では珍しくないものとして知られている。日本では「中間回復」と説明されることもある。

14. 名無しのReddit住民
緩和ケアの病棟で働いてる。この手の話、現場では毎週のように聞く。医学的には終末期せん妄で説明がつくとされてるし、酸素が足りてないことや使ってる薬の影響もある。研修でもそう習うし、家族に聞かれたらそう説明してる。ただ、こちらが説明できるのは「なぜ何かが見えるのか」までで、「なぜみんな似たものを見るのか」は正直よく分からない。

※ 終末期せん妄は亡くなる前の数日から数週間に起きる意識の混濁。幻視が出たり、亡くなった人と話している様子が見られたりする。

15. 名無しのReddit住民(>>14への返信)
それなんだよ。理屈は知ってる。低酸素でもモルヒネでも脳の最後の活動でも、好きな説明を選べばいい。でもタイミングだけはどうにも引っかかる。「そろそろ行く」と言った人が本当にその日に逝くのは、何度聞いても慣れない。

16. 名無しのReddit住民
叔父はかなりぶっ飛んだ退役軍人だった。叔母と結婚したのは二人とも歳がいってからで、叔母が初めて家に行ったとき、椅子に座ろうとしたら「ジミーの上に座るな」と怒鳴られたらしい。ジミーは同居してる友人で、叔父にしか見えない。叔母は毎日ジミーの朝昼晩を用意してた。亡くなる一週間前、叔母が「ジミーは卵いる?」と聞いたら、叔父は心底不可解そうな顔で「ジミーはベトナムで死んだ。なんでそんなことを持ち出すんだ」と言った。そして亡くなる一時間ほど前から、ジミーが迎えに来ると繰り返してた。遺体を運び出しに来た二人の男は、ジェームズとジムという名前だった。その場にいて、二人が互いを名前で呼ぶのを聞いた。

17. 名無しのReddit住民(>>16への返信)
祖父が寝言で兄弟たちと喋ってるのを、最後の何日か毎晩聞いてた。その兄弟は何十年も前に全員亡くなってる。会話の中身がごく普通の世間話なのが、かえって怖かった。

18. 名無しのReddit住民
祖母が危篤だと聞いて叔父が家を出ようとした瞬間、叔父の犬が玄関先で発作を起こして、そのまま死んだ。叔父が病院に着いたら、祖母は笑いながら「あんたの犬、なんで病室を走り回ってるの」と聞いてきたらしい。祖母は犬が死んだことを知らないどころか、叔父が犬を飼ってることすら知らなかった。祖母はその数時間後に亡くなった。

19. 名無しのReddit住民
いとこがサラという子と付き合ってた頃、母が亡くなりかけていて、こう言った。「覚えておきなさい。サラがやったのよ」。そのあともう一度、「あの子を信用しちゃだめ。言っておくけど、サラがやったの」。あれから20年。いとこはサラと結婚して子どもが二人いて、彼女は本当に良い人だし、子どもたちも立派に育った。いとこは幸せそのものだ。きょうだいと顔を見合わせて「サラがやった」と言い合うことがあるけど、本人たちには一生言えない。幻覚だったのか、母がふざけたのか、それともサラはまだ何もやってないだけなのか。もう確かめようがない。

20. 名無しのReddit住民
祖母は最期の頃、半分眠ったような状態で「海が見える」と言った。両親が向こうにいて、二人とも赤い光になってるんだと。そこへ行きたいけど、「私の光はまだオレンジだから、まだ行けない」って。怖い話として書いてるつもりはまったくないんだけど、あの説明の妙な具体さが今でも忘れられない。

21. 名無しのReddit住民
祖母は亡くなる前日、部屋をぐるっと見回してこう言った。「黒い目をした人たちを見かけたらね、この家に妙なのが入り込んでるってことだよ」。祖母は103歳で、私が知る中でいちばん穏やかな人だった。だから幻覚であってほしいと本気で思ってる。

22. 名無しのReddit住民(>>21への返信)
介護施設で働いてたとき、意識が出たり入ったりしてるおじいさんがいた。静かに休んでたはずが、急に飛び起きて私の腕を掴んで、「あいつ、目が赤いぞ」と言った。私の反応も固まるだけだった。あの掴む力の強さのほうが忘れられない。

23. 名無しのReddit住民
ICUで働いてる。患者が亡くなる瞬間に何か喋るのを聞いたことはほとんどなくて、たいていは下顎呼吸の音だけだ。ただ、心停止の直前に妙なことを言う人は何人か見た。今でも思い出すのは、癌の合併症で入ってきた若い女性。数時間かけて酸素が落ちていって、挿管する方針になった。薬と人工呼吸器を準備してたら、彼女が急にパニックになって「壁に何かいる」と叫び出した。スタッフ全員で見たけど何もない。そのあと「来る、助けて」と叫んで、そこで心拍が止まった。30分心臓マッサージを続けたけど戻らなかった。待合室にいた旦那さんと小さい子どもたちを呼んで説明した。あの光景は一生消えない。

※ 下顎呼吸は亡くなる直前に見られる、あごを動かすような不規則な呼吸。医療者が「もう時間がない」と判断する目安のひとつ。

24. 名無しのReddit住民(>>23への返信)
家族も友人も誰ひとり見舞いに来ない末期の患者を担当したことがある。本人も以前から、自分は褒められた生き方をしてこなかったと言っていた。最期が近づくと、助けを求めて叫ぶようになった。「連れて行かせないで。地獄には行きたくない。連れて行かせないで」。それが最後まで断続的に続いた。私は信仰を持っていないけど、あれは応えた。死ぬのが怖くなるのは自然なことだ。でもあれは怖いというより、ただ救いがなかった。

25. 名無しのReddit住民
母はコロナで亡くなった。最後の言葉は「みんな来てくれてると思ってたのに、誰も見つからない。真っ暗で、私ひとりぼっちなの」だった。それから数分で亡くなった。私は昔から死後の世界を信じてきたし、家族や友人を亡くしたあと、しばらくは強く気配を感じたり、これはサインだと思う出来事があったりするのが普通だった。でも母だけは、一度も戻ってきた感じがしない。

26. 名無しのReddit住民(>>25への返信)
うちの父は癌で、自分が忘れられることをずっと怖がってた。最期に、はっきりこう言われた。「頼むから、俺のことを忘れないでくれ」。5年経つけど、思い出さなかった日は一日もない。会いたいよ、父さん。

27. 名無しのReddit住民
母は何十年もの飲酒で腎臓と肝臓をやられて、救急のICUにいた。体はもう動かせなくて、声もほとんど出ない。誤嚥の危険があるから水を飲ませてもらえなかった。感染のリスクがあって、手袋なしでは触れることもできなかった。こめかみと手をさすりながら「愛してるよ」と言い続けてたけど、母が返せた言葉はひとつだけだった。「みず」。その日の夕方に亡くなった。

28. 名無しのReddit住民
何もなかった。言葉はゼロで、喉が鳴る音だけ。父はALSで、最後は喋れなかった。何か言われるより、あの無音のほうがきつかったと思う。

※ ALS(筋萎縮性側索硬化症)は全身の筋肉が徐々に動かせなくなる難病。意識ははっきりしたまま、話す・飲み込む機能から失われていく。

29. 名無しのReddit住民
母は膵臓癌の末期で入院してた。臓器が止まりかけていて、本人ももう十分だ、引き延ばさないでほしいとはっきり言っていた。でもうちのきょうだいは大学を出てからもずっと母と暮らしてきた人で、母が死ぬことをどうしても受け入れられなかった。少しでも長く生かそうと必死で、母の意識を保つために鎮痛剤を最小限に抑えるよう医療側に頼んだ。病室に人を呼んで祈りの会を開いて、部屋に油を塗って回った。緩和ケアに切り替える提案が出ても、あらゆる治療を続けるよう主張した。亡くなる前日、ほとんど反応がなくなっていた母が突然目を開けて、驚くような力できょうだいの腕を掴んで離さなかった。まっすぐ顔を見て、何度も「もう行かせて。行かせて」と繰り返した。最後にきょうだいが泣きながら「行っていいよ、お母さん」と言った。母の力が抜けたのはそのときだった。少ししてから亡くなった。いちばん愛して、いちばん受け入れられなかった人の許しが要ったんだと思う。

※ 緩和ケアへの切り替えは、延命を目的とした治療をやめて苦痛を取ることだけに集中する方針転換。アメリカでは本人が話せないとき、家族が医療代理人として判断を求められる。

30. 名無しのReddit住民
言葉じゃなくて、返し方のほうだった。妻の祖父が危篤で意識がなくて、一人にはしたくないからみんなで一日中病室にいた。夜の10時半ごろ、妻の祖母が近づいて手を取って、こう言った。「ジョニー、もう遅いわよ。行っていいのよ」。それで、行った。

まとめ

不思議な話と、まったく不思議じゃない話が同じ密度で並んでいるのが、このスレッドの手触りだった。迎えに来た誰かの名前を呼ぶ人、明かりや海が見えると言う人。その一方で「金は払わんぞ」「もうやってらんない」と、生きていたときの性格をそのまま持って去っていく人。緩和ケアの現場からは終末期せん妄という説明も出ていて、それを頭から否定する人はほとんどいない。それでも書き込みが止まらないのは、説明がつくかどうかと、そばで聞いてしまった人が忘れられるかどうかが別の問題だからだろう。

日本でも看取りの場では「お迎え現象」という言い方が古くからあって、近年は在宅医療の現場からも報告として整理されている。文化も宗教も違うのに、出てくる情景がここまで似ているのは、それ自体が少し不思議だ。そして印象に残るのは、むしろ何も見なかった人の話のほうだったりする。水を一言だけ求めた人、忘れないでくれと頼んだ人、行かせてくれと繰り返した人。皆さんは、身近な人の最期に立ち会ったとき、忘れられない一言はありましたか?

その他
シェアする

コメント