r/AskReddit に「親から言われた、いちばん残酷だった言葉は何?」というスレッドが立った。集まった答えの大半は、怒鳴り声でも手を上げられた話でもなく、短い一言だ。病室で、台所で、進路の報告をした直後に、ぽろっと出たひとこと。
読んでいて共通していたのは、言った側はまず覚えていないこと、そして言われた側は40年経っても一字一句そのまま再生できることだった。
元スレッド:r/AskRedditより
海外の反応
1. 名無しのReddit住民
けがで死にかけた週末があって、母が病院に見舞いに来た。開口一番が「あんたのせいで週末が台無しになった」だよ。まあいいさ、将来どこの老人ホームに入るか決めるのはこっちだからね。いちばん安くて、いちばん「立派」なところを今から探しておくよ。
2. 名無しのReddit住民(>>1への返信)
うちの母も同じ系統だ。子どもが救急に運ばれてる状況で、最初に出てくるのが自分の予定の話っていうのがすごいんだよな。老人ホームの件、本気で言ってると思うし、本気でいいと思う。
3. 名無しのReddit住民
「こういう風に育つと分かってたら、お前は産まなかった」。これを一度言われると、その後どれだけ褒められても全部この上に乗ってるだけになる。土台がもう傾いてるから、何を積んでも真っすぐ立たない。
4. 名無しのReddit住民(>>3への返信)
自分が親になってから、子どもが延々と癇癪を起こした夜に、口の形が同じ言葉になりかけて背筋が凍った。飲み込んで台所で水を飲んだ。あれは言おうと思えば言える言葉なんだと分かったのが、いちばん怖かった。
5. 名無しのReddit住民
4歳のとき、何かが可笑しくて声を上げて笑ったら、母が友人に「あの笑い方」と言った。それだけ。自分のいちばん古い記憶のひとつがそれ。来年60になるけど、いまだに声を出して笑えない。口は開くのに音が出ないんだ。意識してやってるわけじゃない。小さいころは意識してやってたと思うけど、どこかで体のほうが先に覚えてしまった。
6. 名無しのReddit住民(>>5への返信)
これがいちばんこたえた。手を上げられた話より、何気なく漏らした一言のほうが人の形を変えるんだよな。自分は写真で歯を見せなくなった。矯正の必要はないって歯医者に言われてる歯なのに、いまだに口を閉じて写る。
7. 名無しのReddit住民
「痩せなさい、太った女なんて誰も選ばないよ」。しかも私が何か食べてると横で牛の鳴き真似をしてきた。それで実際にかなり痩せたら、今度は「ハンバーガーでも食べなさい、ガリガリすぎて見てられない」。どっちに転んでも文句が出る仕組みなんだと気づくまでに10年かかった。
8. 名無しのReddit住民
自分に直接言われたわけじゃない。きょうだいに向かって「あんたはああはなるなよ」と話しているのを、隣の部屋で聞いてしまった。面と向かって言われるより、あれのほうがずっと長く残ってる。本音のほうを聞いたって分かるからね。
9. 名無しのReddit住民
リストが長い。「私にとってはあなたより継父のほうが大事」。「お前には2速しかない、のろいと、止まってるだ」。私が舞台芸術系の学校に通っていたころ、よその人に向かって「あの子はバケツを渡されたって音程ひとつ運べない」。母の日に手作りのものを渡したら、買わないなんてケチだと言われた。関係を続けたいから境界線が必要だと伝えたときはその場で同意して、あとから継父に「誰にも指図はされない」と話していた。今は連絡を絶ってる。それで正解だった。
※ 英語圏では親と縁を切ることを no contact(ノーコンタクト)と呼ぶ。連絡を一切取らない状態を指す言葉で、ネット上ではこの一語だけで通じる。
10. 名無しのReddit住民(>>9への返信)
父方のパターンも足していい? 自分の見た目や出来に少しでも満足していると、父が必ず「お前はうぬぼれてるんじゃない、確信してるんだ」と言ってきた。うまいこと言った顔で。おかげで大人になった今も自己評価が地面すれすれだよ。
11. 名無しのReddit住民
「あんたなんか嫌い」。先に言ったのは私のほうだ。でもこっちは子どもで、向こうは大人だった。同じ言葉でも、返してくる相手が親だと重さがまるで違う。あれは言い返してよかった場面じゃない。
12. 名無しのReddit住民
大学を出て受けた面接がうまくいって、その場でほぼ決まりみたいな空気だった。うれしくて母に報告したら「地に足をつけなさい、あんたは受からないし、そのまま尻もちをつくだけ」。翌日に内定の連絡が来た。2か月後に家を出た。喜びを分けたかっただけなのに、わざわざ潰しにきたんだよな。誇りに思ってると言われた記憶は一度もない。今はほとんど話していない。
13. 名無しのReddit住民
実家から10分のところで、息子を助手席に乗せたまま事故を起こした。自分の小さい車がピックアップトラックの下に潜り込む形だった。そのあと母から聞かされたのが「電話が鳴ったの。あなただと分かった。事故に遭って助けを呼んでるんだって分かったのよ」。ベッドで雑誌をめくりながら、そう言った。分かってたのに、そこから動かなかったんだ。
14. 名無しのReddit住民
学校から帰って、その日にあった変な出来事を話し始めたら、半分も言い終わらないうちに「その話、私まったく興味ないから。これ以上聞く気もない」。同じ人が今、私がなぜ連絡を絶ったのか見当もつかない、と周りに言って回ってる。
15. 名無しのReddit住民
「お前は繊細すぎる」。それと「気を悪くする側も、悪く言う側と同じだけ問題を起こしてるんだ」。何を言われても、傷ついたこっちの落ち度に変換される仕組みになってた。この二つを覚えた親は本当に手強いよ。
16. 名無しのReddit住民
「なんでそんなに何の役にも立たないの」。皿を洗えと言われて、洗剤が切れてると伝えたときに返ってきた言葉。10歳だった。洗剤を買ってなかったのは私じゃないんだけどね。今でもスーパーで洗剤の棚の前に立つと一瞬だけ手が止まる。
17. 名無しのReddit住民
母の口ぐせは「あんたを妊娠したとき、中絶が合法じゃなかったのが残念だった」。嫌われてたのは私だけで、弟のことは溺愛してた。ちなみにきょうだい2人のうち、逮捕されたことがないのも、高校を出たのも、子どもの親権を失っていないのも、クビになったことがないのも私のほうなんだけど、失望されてるのはずっと私。
18. 名無しのReddit住民(>>17への返信)
うちも同じことを言われた側。ただ母は数年後、こっちが家を出たあとに、泣きながら本気で謝ってきた。それでも言われた事実は消えないし、痛みも消えない。ただ、消えないねと二人で認めるところまでは行けた。そこから普通に話せるようになるのに10年かかったよ。全員がそうなれるとは思ってないけど、こういう終わり方もある。
19. 名無しのReddit住民
学費は自分で払った。亡くなった父が退役軍人だったので、その分の給付も足した。学位と全課程の教員免許を取るのに5年、朝8時から昼まで授業で、日曜以外は13時から21時まで仕事。12月に卒業して式は1月。母は来なかった。姉妹も来なかった。当時の夫も来なかった。周りは全員家族に囲まれてる中、一人で壇上を歩いた。あんなに自分がどうでもいい存在だと感じたことはない。
20. 名無しのReddit住民
子どものころ、父に「お前より、口のきけないきょうだいのほうが好きだ。あの子は口答えしないから」と言われた。あの子は一度も言葉を話したことがない。つまり私が黙っていれば同じ扱いをもらえたってことになる。20年経ってもこの計算が頭から離れない。
21. 名無しのReddit住民
15歳のとき、台所でシリアルを食べてた。父と母が別の部屋で言い争ってて、内容はよく聞こえなかった。急に父が裏口から出ていこうとして、その途中で振り返ってこっちに叫んだ。「何をしてもいいが、絶対に太るなよ」。母は太っていて、その声が届く場所にいた。母は泣いた。実家とは10年前から連絡を絶ってる。自分の結婚生活と自分の子どものために必要だった。セラピーには本当に助けられた。ちなみに父は今、臨床的な肥満で糖尿病だよ。
22. 名無しのReddit住民(>>21への返信)
体型についての一言って、なぜあんなに正確に残るんだろうな。ここを読んでると自分の話なんて軽いほうだと思うけど、その軽いはずの一言が40年残ってるわけで、もうどっちがひどいかを比べるのはやめた。比べたところで誰の分も減らないし。
23. 名無しのReddit住民
残酷なのは言われたことだけじゃない。言われなかった優しい言葉、伸びていく沈黙、否認、はぐらかし。母はもう亡くなった。父は生きてるけどいないのと同じだ。8歳のとき医者に「多動が強いが思春期で落ち着くだろう」と言われて、両親はそれを丸ごと信じて放置した。52歳の今も落ち着いてないし、むしろ悪化した。そしてその責任は全部こっちにあることになってた。
24. 名無しのReddit住民
「もうお前を育てたくない」。普段はまともに良い母親だと分かってるぶん、こういうのは余計に刺さる。あの日だけ何かが外れてたんだと思いたいけど、外れた先に出てきたのがそれなんだよな。
25. 名無しのReddit住民
母は一度も残酷じゃなかった。父のほうがどうしようもない人で、こっちから縁を切った。79歳で亡くなったとき、遺言で家族全員に1ドルずつ残していった。きょうだいにとってもひどい父親で、母にとってもひどい夫で、二番目の妻にとってもひどい夫だった。最後まで一貫してたのがある意味すごい。
※ アメリカでは意図的に相続から外す意思表示として、あえて1ドルだけ遺す書き方がある。「書き忘れではない」と示すためと言われる。つまりこれはうっかりではなく、狙ってやっている。
26. 名無しのReddit住民
父に言われた。「お前は俺の子どもだから愛してる。でも、お前という人間のことは好きじゃない」。この二つを同じ息継ぎで言えるのが、いまだに理解できない。愛してると言われた記憶より、後半だけが残ってる。
27. 名無しのReddit住民
母は40歳で私を産んで、私は今40歳。分かってもらうには少し検索が要ると思う。昔のホラー映画で『悪い種子』というのがあって、見た目は愛らしい8歳の女の子が実は救いようのないサイコパスという話なんだ。母は私に「あんたはあの子みたい」と言っていた。子どものころは映画を観たことがなかったから、面白い褒め言葉くらいに受け取ってた。10代で探して観た。あのときほど母を恨んだことはない。
※ 『悪い種子』は1956年のアメリカ映画。邦題どおり「悪い種」を持って生まれた少女を描いた作品で、子どもの無邪気さと残酷さを重ねた古典として知られている。
28. 名無しのReddit住民
この手のスレを読むたびに思うんだけど、うちの親世代は自分たちもまったく同じ言い方で育てられてる。祖母が母に言っていた言葉を、母がそのまま私に言っていた。免罪にはならないし、渡された側が我慢する理由にもならない。ただ、これは各家庭で起きた特殊な事故じゃなくて、代々そのまま手渡されてきた話し方なんだと思えるようになってから、少しだけ息がしやすくなった。
29. 名無しのReddit住民(>>28への返信)
理屈は分かるし、たぶん事実なんだと思う。ただ、うちの父はそれをそのまま言い訳に使ってた。「俺の親父はもっとひどかった」ってね。連鎖の説明にはなっても、こっちの記憶からあの一言が消えるわけじゃない。誰かが止めるまで続くだけで、止めるのはたいてい言われた側なんだよな。
30. 名無しのReddit住民
10歳くらいのとき、父がサマーキャンプの費用を出してくれた。おやつは持参できたので、小遣いを貯めて自分の分を買っておいた。出発の朝に見たら、母が弟にほとんど食べさせていた。当然怒ったら、返ってきたのが「あんたが留守の間に私が死んだら、今怒ったことを一生後悔するよ」。40歳の今、誰かに怒っていると知られるのが病的に怖いし、揉め事はとにかく避ける。原因はたぶんこれ一つじゃないけど、始まりはあの朝だ。
まとめ
並んだ言葉を見ていくと、殴られた話や怒鳴られた話より、日常の隙間に落ちた短い一言のほうが圧倒的に多い。しかも言われた年齢が4歳、10歳、15歳と低いほど、40年後まで正確に残っている。笑い方、食べる量、話しかけたタイミング。子どもが自分で選べない部分をピンポイントで突かれた言葉ほど、その後の体の癖まで変えてしまうらしい。
もうひとつ目立つのは、言った側の記憶からはきれいに消えていることだ。連絡を絶たれた理由が「まったく見当もつかない」と周りに言って回る親が、このスレッドには何人も出てくる。一方で、謝られたことで10年かけて関係を結び直した人もいれば、片方の親だけを切ってもう片方とは普通に付き合っている人もいた。全員が同じ結論に落ちていないのが、このスレッドのいちばん読みごたえのあるところだった。
皆さんは、何年経っても一字一句そのまま再生できてしまう一言、ありますか?


コメント
海外って日本よりも家族愛が強いイメージあるけど、こういう事あるんだな
余計に周りの家族と比べてしまって辛くなりそうだ