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【6年経っても癒えない】外国人が語る「コロナが世界を止めたあの週の記憶」|海外の反応

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ちょうど6年前の今週、コロナが世界を止めた。あの週、あなたは何をしていただろうか。スーパーから消えたトイレットペーパー、誰もいない高速道路、「2週間で終わるよね?」という甘い見通し――Redditには当時の記憶が生々しく寄せられている。

元スレッド:r/AskRedditより

海外の反応

1. 名無しのReddit住民
普通に出勤しなきゃいけなかったけど、高速道路を完全に独り占めできた。あの開放感は人生で一度きりだったな。信号も渋滞もなくて、映画のワンシーンみたいだった。

2. 名無しのReddit住民(>>1への返信)
コロナで唯一恋しいのがあのガラガラの道路。あれ以来、明らかにドライバーの質が落ちた気がする。ロックダウン中に免許取った人が多いのか、車線変更のウインカーすら出さないやつが増えたよ。

3. 名無しのReddit住民
トイレットペーパーが消えた棚と、「これ映画の中だよね?」っていう非現実感。ニュースをつけるたびに感染者数が跳ね上がっていて、数字が現実に思えなかった。

4. 名無しのReddit住民(>>3への返信)
妻がロックダウンの1か月前に「これヤバいやつだよ」って言ってマスクとか消毒液を買ってきてくれって頼んできたのに、俺は大げさだと思って1〜2週間放置した。いざ買いに行ったらもう何もなかった。妻は当然キレた。あの件は今でもたまに蒸し返される。

5. 名無しのReddit住民
「5月には元通りでしょ」って本気で信じてた自分が笑える。夏のフェスのチケットまで買ってたからね。

6. 名無しのReddit住民(>>5への返信)
「2週間で感染カーブを平坦化しよう!」ってスローガン、覚えてる?あの2週間がまさか2年になるとは。

※ “Flatten the curve”(感染カーブの平坦化)は、2020年初頭に欧米で広く使われたスローガン。医療崩壊を防ぐため感染ピークを抑えようという意味だった。

7. 名無しのReddit住民(>>5への返信)
グループチャットで「いつ終わるか」を予想して、一番悲観的なやつが「10月」って言ったら全員に笑われた。同じやつが「全員いつかは感染するよ」って言ったらまた笑われた。結局そいつが全部正しかった。

8. 名無しのReddit住民
「やばい、クルーズ旅行が数週間延期になっちゃう!不便だなあ!」って思ってた当時の自分に会いに行って殴りたい。あはははは。

9. 名無しのReddit住民(>>8への返信)
2020年3月4日に人生初のクルーズを予約した。クルーズ会社が再開したときにはインフレで同じクレジットじゃ全然足りなくなってた。航空券のクレジットも同じ。結局2024年にやっと安いクルーズ会社で行けたけど、飛行機代すら出せなくて港まで車で行ったよ。

10. 名無しのReddit住民
「ロックダウンが長引いたら数週間かも!」って思ってたのが懐かしい。多くの意味で、俺たちはまだ回復してないと思う。リモートワークの孤立感、人と会うのが億劫になった感覚、あの頃から微妙にずれたままだ。

11. 名無しのReddit住民(>>10への返信)
コロナで不便を強いられた人たちが、「もう二度と何にも邪魔されたくない」って方向に振り切った感じがする。マスク拒否とかワクチン論争とか、全部あの反動なんだよな。

12. 名無しのReddit住民
俺は「エッセンシャルワーカー」だったから何も変わらなかった。面白いよね、「不可欠な労働者」が一番給料低いっていう。

※ エッセンシャルワーカー(essential worker)=医療・小売・物流など、ロックダウン中も出勤が求められた職種の総称。「不可欠」と呼ばれながら待遇は据え置きだったことが社会問題になった。

13. 名無しのReddit住民(>>12への返信)
当時出回ってたミームを思い出す。「”Essential”じゃなくて”Sacrificial(生贄)”って呼ぶのが正直すぎるから避けただけ」ってやつ。あれが一番的を射てた。

14. 名無しのReddit住民(>>12への返信)
スーパーで働いてたけど、時給が2ドル上がって「危険手当だ」って言われた。数か月後に何の説明もなく元に戻された。それと他のいろいろが積み重なって、13年勤めた食品業界を2021年にやっと辞めた。

15. 名無しのReddit住民
通りが完全に無人で、毎日のヘッドラインが恐怖一色で、狂ったように手を洗って消毒してた。あの頃の手のひらはガサガサに荒れて、ハンドクリームが飛ぶように売れてたっけ。

16. 名無しのReddit住民(>>15への返信)
コロナのヤバさを実感した瞬間がある。ロックダウン初日にオフィスにノートPC取りに行ったんだけど、月曜の朝9時にグランド・セントラル駅がほぼ無人だった。衝撃で写真撮ったよ。2020年3月19日、午前9時18分のタイムスタンプが残ってる。

※ グランド・セントラル駅はニューヨーク・マンハッタンにある巨大ターミナル駅。通常は1日75万人以上が利用する。

17. 名無しのReddit住民
他人に「死ね」とか「人生終われ」とか本気で言ってた人たちが、全部終わったら「まあノーサイドで!笑」って顔してたの忘れてないからね。あの時期、SNSは本当に地獄だった。

18. 名無しのReddit住民(>>17への返信)
「必要ないと思う」という理由だけで、他人の命を危険にさらしてもいいと考える人がこんなに多いのかと、目が覚める思いだった。マスク一枚つけるのが「自由の侵害」って本気で主張してたからね。

19. 名無しのReddit住民
大人の人生で一番幸せな時期だった、正直に言うと。大量死とパニックを除けば、あれが真のひきこもりライフに最も近づけた瞬間だったよ。通勤もない、飲み会の断りも要らない、最高だった。

20. 名無しのReddit住民(>>19への返信)
夫に「こんなに楽しいってことは、結婚相手を間違えなかったってことだね!」って言った記憶がある。もちろん在宅勤務ができて一戸建てに住めてた特権があってこそなんだけど。

※ SFH=Single Family Home(一戸建て住宅)。アメリカでは集合住宅より感染リスクが低いとされ、コロナ禍での住環境格差が問題視された。

21. 名無しのReddit住民
ロックダウンが始まったのは文字通り2020年3月13日金曜日だった。13日の金曜日。出来すぎてるだろ。

22. 名無しのReddit住民(>>21への返信)
実際にはその前から動き出してたよ。アメリカだとNBAとNHLがその週の水曜に中断、F1のオーストラリアGPも中止になった。スポーツが止まった瞬間に「あ、これガチだ」って空気になった。

23. 名無しのReddit住民
新しい仕事の4日目に「荷物まとめて帰れ」って言われた。研修も引き継ぎもゼロ。自分で自分を教育して、気づいたら独学でやれるようになってた。ある意味あれが一番のOJTだったかもしれない。

24. 名無しのReddit住民
娘が亡くなって3か月も経たないうちにコロナが来た。世界中が別の悲しみに包まれて、フィットネスの仕事にやっと復帰した矢先にまた閉鎖。孤独だったけど、私の悲しみはコロナより大きかった。あの時期、誰にも話せなかった。

25. 名無しのReddit住民
「2週間で戻るよ」って全員が言いながら、同時にトイレットペーパーを40ロールも買い込んでる、あの数日間の矛盾した空気感。「すぐ終わる」と「籠城準備」が同時に成立してるカオスは、今思い出しても不思議だよ。

26. 名無しのReddit住民
看護師やってたけど、あの時期から国民の大部分を心底嫌いになった。そして向こうも私たちを嫌ってた。「ヒーロー」って呼ばれたのは最初の数週間だけで、あとは「大げさ」「利権」って罵られたよ。

27. 名無しのReddit住民(>>26への返信)
救急隊員だったから、見え方が普通の人とは違う。ICUの看護師をやってた自分と、GPの妻と、医療従事者以外にはあの地獄は一生わからないと思う。患者が目の前で亡くなっていく日々を、家に帰ってからも忘れられなかった。

※ GP=General Practitioner(かかりつけ医、一般開業医)。イギリスやオーストラリアなどで一般的な制度。

28. 名無しのReddit住民
ニューヨーク州ハドソンバレーで、知的障害のある高齢者のグループホームを管理してた。NYCから車で1時間半の場所。数週間ごとに規則が変わり、入居者が感染して亡くなり、スタッフが一斉に倒れて総動員体制。自分も感染したけど、休む暇なく電話で指示を出し続けた。あの時期は文字通り悪夢だった。

29. 名無しのReddit住民(>>28への返信)
介護施設で家族に「面会禁止です」って伝える仕事をしてた。あるおじいさんにだけはどうしても自分で言えなくて、上司に代わってもらった。毎日会いに来てた人だったから。

30. 名無しのReddit住民
2020年2月末、テネシー州ガトリンバーグでガソリンを入れながらスモーキー山脈を眺めてた。雲ひとつない青空で、コロナの噂はまだ遠い話だった。あの瞬間が自分の中での「パンデミック前」の最後の記憶。地平線の向こうに何かが迫ってるのに、まだ何も知らなかった。あの青空の美しさが、逆に今は切ない。

※ ガトリンバーグはテネシー州のスモーキー山脈の麓にある小さな観光町。グレートスモーキー山脈国立公園の玄関口として知られる。

まとめ

6年前のあの週を振り返るコメントには、いくつかの鮮明なパターンがあった。「2週間で終わる」という楽観と40ロールのトイレットペーパーを買い込む矛盾、「エッセンシャル」と呼ばれながら最低賃金で働き続けた人々の怒り、医療従事者が味わった想像を絶する現場の地獄、そしてロックダウンを「人生最高の時期」と感じた在宅組との温度差。コロナは単なるウイルスではなく、社会の亀裂を一気に可視化した出来事だったことが、6年経った今でも生々しく伝わってくる。日本でも緊急事態宣言の記憶は残っているが、アメリカでは政治的分断とも深く絡み合い、いまだに癒えない傷になっているようだ。皆さんは6年前のあの週、何をしていましたか?

コメント

  1. Reddit名無しさん より:

    トイレットペーパーが消えたって大騒ぎして、工場の在庫の山を放映したら戻って来た。

  2. Reddit名無しさん より:

    パニックは人為的に作られるっていうのに、無責任な Reddit 民が率先して扇動していた事は憶えていないかな。