「歴史上最悪の軍事的大失敗は?」海外掲示板Redditに立ったこの質問に、1500件を超えるコメントが集まった。北海でイギリスの漁船を日本の水雷艇だと思い込んだロシア艦隊。夜中に味方同士で撃ち合ったと伝わるオーストリア軍。すぐ近くに敵がいると知りながら、全軍で昼寝をしていたメキシコ軍。古代ローマのカンナエから豊臣秀吉の朝鮮出兵、ナポレオン、太平洋戦争、そして処女航海で沈んだ軍艦まで、「どうしてそうなった」と頭を抱えたくなる判断が次々に挙がる。最後には、映画の中の帝国軍の作戦にまでダメ出しが入っていた。
元スレッド:r/AskRedditより
海外の反応
1. 名無しのReddit住民
日露戦争のときの、ロシアのバルチック艦隊の極東遠征。道中はトラブル続きで恥ずかしいことだらけ。それでも何か月もかけてようやくたどり着いたのに、日本との最初の決戦になった日本海海戦で、コテンパンに叩きのめされて終わった。
※ バルチック艦隊:ロシアのバルト海艦隊を中心に編成された艦隊。日露戦争中の1904年秋にバルト海を出港し、アフリカ南端を回るなどして半年以上かけて極東へ向かった。1905年5月、対馬沖の日本海海戦で東郷平八郎率いる連合艦隊に壊滅させられた。
2. 名無しのReddit住民(>>1への返信)
北海を抜ける前から、もうおかしなことになってたからな。ドッガーバンクで、イギリスの漁船団を日本の水雷艇だと思い込んで撃ってるんだよ。よりによって北海のど真ん中でだぞ。3. 名無しのReddit住民(>>1への返信)
しかもこの大勝ちのせいで、日本海軍は「自分たちは負けない」と過信するようになった。それが何十年か後に、自分たちに跳ね返ってくることになるんだよな。
※ ドッガーバンク事件(1904年10月):北海のドッガーバンク付近で、バルチック艦隊がイギリスの漁船団を日本の水雷艇と誤認して砲撃した事件。漁師に死者が出て、イギリスとロシアの関係は一時かなり緊迫した。
4. 名無しのReddit住民
マイナーかもしれないけど、李舜臣(イ・スンシン)提督の解任を挙げたい。
1592年の朝鮮。天下統一を果たしたばかりの日本が中国(明)に目を向けるんだけど、その前にまず朝鮮を通らなきゃいけない。上陸した日本軍は、朝鮮の守備隊を次々に打ち破って進んでいく。
ところが、占領地を維持できない。現地の抵抗もあったし、もう一つの理由は朝鮮水軍の李舜臣が海の上で無敵だったこと。これは全然大げさな話じゃない。日本は制海権を握れないから補給線を確保できず、占領を続けられなくなった。
で、日本軍がいったん引き揚げたあと、宮廷の陰謀もあって李舜臣は反逆の疑いをかけられ、解任される。すると日本軍が戻ってきて、朝鮮水軍はたった一度の海戦で壊滅した。
話がすごすぎるから最後まで書いておくと、宮廷は李舜臣を水軍の指揮官に戻すんだけど、残った船はたった13隻。しかも「水軍は捨てろ」と命じる。それに対する李舜臣の返事を意訳すると「いや、これでいけます」。日本軍を罠に誘い込んで、また勝った。日本はまたしても補給路を確保できず、最終的に撤退した。
李舜臣はこの戦争の最後の海戦で戦死する。海の上では、最後まで一度も負けなかった。
5. 名無しのReddit住民(>>4への返信)
豆知識。日本海海戦でロシア艦隊を破った東郷平八郎は、褒められたときに「ネルソンと比べられるならまだ分かるが、李舜臣には遠く及ばない」と返した、って逸話があるんだよね。
※ 豊臣秀吉による朝鮮出兵(1592〜1598年)。日本では「文禄・慶長の役」、韓国では「壬辰倭乱」と呼ばれる。李舜臣が解任されていた間に朝鮮水軍が大敗したのが漆川梁海戦、復帰後に少ない船で日本の水軍を破ったのが鳴梁海戦(いずれも1597年)。李舜臣は1598年の露梁海戦で戦死した。ネルソンは、トラファルガーの海戦(1805年)でフランス・スペイン連合艦隊を破ったイギリスの提督。
6. 名無しのReddit住民
数で言えば最大の失敗じゃないけど、第二次大戦のアリューシャン方面の戦い。日本軍が1942年6月から1943年8月まで、アラスカの辺境の島々を占領してた。
最後はアメリカとカナダが3万人を超える上陸部隊を組んで、決死の上陸作戦を敢行。ところが悪天候と事故と同士討ちで100人以上(だったかな?)の死傷者を出したあとで、日本軍がとっくに島から撤退してたことに気づいた。
7. 名無しのReddit住民(>>6への返信)
それはキスカ島一つだけの話ね。戦う前に日本軍が引き揚げてたのはキスカで、ほかの島ではちゃんと戦闘があって、何千人も亡くなってる。キスカについてはこう書かれてる。
「8月15日、上陸部隊は何の抵抗にも遭わなかったが、同士討ち、車両事故、日本軍の仕掛け爆弾や爆発物、病気、凍傷によって、最終的な死傷者は313人に上った。アッツ島と同じく、キスカ島もきわめて過酷な環境だった」
※ キスカ島・アッツ島:どちらもアリューシャン列島の島。アッツ島では1943年5月に日本軍守備隊がほぼ全滅し、日本で初めて「玉砕」という言葉が公に使われた。キスカ島の守備隊は同年7月、濃霧に紛れて連合軍の上陸前に撤収しており、日本では「キスカ島撤退作戦」として知られる。
8. 名無しのReddit住民
スウェーデンの軍艦ヴァーサ号もかなり上位に入れたい。国の力を見せつける象徴になるはずの船だったのに、処女航海でたった1キロほど進んだところで横倒しになって、そのまま沈んだ。敵と一発も撃ち合わないうちに終わった軍艦って、なかなかないと思う。
※ ヴァーサ号:1628年、スウェーデン王グスタフ2世アドルフの命で造られた大型軍艦。ストックホルムの港を出てまもなく、突風を受けて転覆・沈没した。1961年に引き揚げられ、現在はストックホルムのヴァーサ号博物館で船体がほぼそのまま公開されている。
9. 名無しのReddit住民
オーストリア軍が、敵じゃなくて自分たちの軍隊と戦っちゃったあの時のやつ。大失敗と聞いたら真っ先にこれが浮かぶ。
10. 名無しのReddit住民(>>9への返信)
カランセベシュの戦いね。ウィキペディアの項目で、勝者がオスマン帝国になってて、その兵力が「0人」って書いてあるのが好きすぎる。11. 名無しのReddit住民(>>9への返信)
最初「オーストラリア軍」って読み間違えて、え、エミューのこと?ってなった。オーストリアとオーストラリア、何回見ても紛らわしい。
※ カランセベシュの戦い:1788年、オスマン帝国との戦争中に、オーストリア軍が夜中に味方同士で撃ち合い、大混乱のうちに自滅したと伝わる出来事。ただし、どこまで実際に起きたことなのかについては、話が大きく誇張されているという見方もある。
12. 名無しのReddit住民
オーストラリアが本気でエミューに勝てると思ってたこと。ネタバレしとくと、あの戦争はエミューの勝ちで終わってる。
※ エミュー戦争(1932年):畑を荒らすエミューの大群を駆除するため、オーストラリアが兵士と機関銃を送り込んだ作戦。エミューはすばしこくてなかなか仕留められず、目立った成果がないまま部隊は引き揚げた。
13. 名無しのReddit住民
軽騎兵旅団の突撃。
1854年、クリミア戦争でのこと。命令があいまいで伝達もめちゃくちゃだったせいで、約670人のイギリス騎兵が、バラクラヴァで守りを固めたロシア軍の砲兵陣地へまっすぐ突っ込まされた。正面と両側から撃たれながらも、とんでもない勇気で大砲のところまでたどり着いて、一時は敵を押し返した。でも、その陣地を保てる見込みなんて最初からなかった。約270人が死傷するか捕虜になって、馬も何百頭と失った。
勇敢さの象徴として有名になったけど、中身はあいまいな命令と連絡の失敗、それに上層部のお粗末さが生んだ惨事。英語では200年近くたった今でも、慣用句として生きてる。
14. 名無しのReddit住民(>>13への返信)
「鼻をつく硝煙と馬の吐息、俺は確かな死へと突っ込んでいく」
アイアン・メイデンは、これを題材にして何世代にも刺さる歌詞を書いたんだよな。
※ 軽騎兵旅団の突撃:クリミア戦争のバラクラヴァの戦い(1854年)での出来事。イギリスの詩人テニスンの詩『軽騎兵の突撃』で広く知られる。アイアン・メイデンはイギリスのヘヴィメタルバンドで、1983年の曲『明日なき戦い(The Trooper)』はこの突撃に加わった騎兵の目線で歌われている。
15. 名無しのReddit住民
ナポレオンのロシア遠征。「ロシアに攻め込むとか正気か」みたいなお約束のツッコミは置いといて、あれが本人にとってどれだけ破滅的だったかは本当に異常。
遠征が始まった時点で、ナポレオンはほぼ文句なしのヨーロッパの征服者だった。1799年に権力を握ってから1812年の遠征までに、フランスはポルトガルとロシアの間にあるヨーロッパ大陸の国を、ことごとく併合するか傀儡国家にしてた。陸では負けなしで、歴史ある大国を打ち破り、千年続いた神聖ローマ帝国まで解体に追い込んだ。ロシア自体もアウステルリッツの戦いで一度こっぴどく負けてて、最後まで屈しなかったのは、海を押さえてイベリア半島でポルトガルと一緒に戦ってたイギリスくらい。
フランスと傀儡国・同盟国から集めた大陸軍は、60万人以上でロシアに攻め込んだ。なのに半年後に退却したとき、残ってたのは10万人だけ。失ったのは人命だけじゃない。無敵のオーラも消えて、弱みを見せた途端に同盟はバラバラになった。すぐに第六次対仏大同盟の戦争が始まって、かつての同盟国や傀儡国は次々とフランスに牙をむいた。ナポレオンは新兵ばかりの急ごしらえの軍で、またヨーロッパ中を相手にするはめになり、1年半後にはフランス本国まで攻め込まれて流刑に追いやられる。
ロシア遠征で、フランスはヨーロッパの覇権を失った。ナポレオンがどんどん寂しい流刑地へと転がり落ちていく、その始まりだったんだよ。
16. 名無しのReddit住民(>>15への返信)
それに、その前のスペイン侵攻もね。あれはフランスにとってのベトナム戦争みたいなもんで、スペイン語の「ゲリラ」って言葉が英語に入ってきたのも、あれがきっかけなんだよ。17. 名無しのReddit住民(>>15への返信)
結局、冬のロシアで戦おうとした時点でアウトなんだよ。ナポレオンもヒトラーも、それでうまくいかなかった。18. 名無しのReddit住民(>>17への返信)
どっちも侵攻を始めたのは冬じゃなくて、暖かい時期だぞ。冬が来る前にケリをつけられなかった、ってのが本当のところだろ。
※ スペイン侵攻:1808年に始まった半島戦争のこと。フランス軍は、スペインの民衆による小規模な襲撃に長年苦しめられた。「ゲリラ」はスペイン語で「小さな戦争」という意味で、日本語の「ゲリラ」も同じ言葉から来ている。
19. 名無しのReddit住民
独ソ戦のバルバロッサ作戦。第二次大戦でドイツがソ連に攻め込んだやつ。
あれは「うまくいかなかった」んじゃなくて、そもそもうまくいくはずがなかったと思う。自分から独ソ不可侵条約を破って、世界の三大大国のうち二つを敵に回したんだから。
人種主義のイデオロギーのせいで「ソ連なんてすぐ崩れる」と信じ込んでたから、崩れなかったときに打つ手が何もなかった。赤軍はドイツ軍の先鋒の両脇でしぶとく戦い続けて、攻勢はそのまま行き詰まった。
※ バルバロッサ作戦(1941年6月):ドイツが独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻した作戦。モスクワを目前にして冬を迎え、攻勢は止まり、戦争は長期化した。
20. 名無しのReddit住民
1805年のアウステルリッツの戦い。自信満々のオーストリア・ロシア連合軍が、手薄に見えたフランス軍の右翼を攻めたら、それが罠だった。
ナポレオンの有名な言葉「敵が間違った動きをしているときは、それを邪魔しないよう気をつけねばならない」も、この戦いから生まれたんだとか。
21. 名無しのReddit住民(>>20への返信)
あれは失敗って呼ぶのもかわいそうだと思う。単にナポレオンが天才すぎて、一方的にやられただけ。戦場の流れを読んで作戦を組み替える彼のうまさが、一番よく分かる戦いじゃないかな。
※ アウステルリッツの戦い:フランス、オーストリア、ロシアの3人の皇帝がそろって戦場に出たことから「三帝会戦」とも呼ばれる。ナポレオンの代表的な勝利の一つ。
22. 名無しのReddit住民
ダグラス・マッカーサー。朝鮮なんか軽くひねって、そのまま全軍で中国まで攻め込んでやる、みたいなことを言い出した。中国は「は?」ってなって参戦して、アメリカ軍を38度線まで押し戻した。全部あいつの口のせいだよ。
しかも中国軍が朝鮮に入ってきてるって報告を無視してたし、長津湖の戦いの段階になっても、側近まで一緒になってしばらく否定し続けてたらしい。
※ マッカーサー:日本では占領期のGHQ最高司令官として知られるアメリカの将軍。朝鮮戦争(1950〜1953年)では国連軍を率いて38度線を越え、中国との国境近くまで進撃したが、中国軍の参戦で大きく押し戻された。長津湖の戦いは1950年冬、米軍が中国軍に包囲された激戦。
23. 名無しのReddit住民
歴史上最悪とまでは言わないけど、バカバカしさで言えば特筆ものだと思うのがサンジャシントの戦い。
メキシコからの独立をかけたテキサス独立戦争の決戦で、これでメキシコはテキサスを失った(テキサスは今や、もし独立国だったら世界8位の経済規模らしいし、当時もメキシコにとってはかなり実入りのいい土地だった)。
何がバカバカしいって、テキサス軍が近くにいると分かってたのに、メキシコ軍は本当にシエスタに入って、兵士たちに昼寝させてたんだよ。そこをテキサス軍に急襲されて全軍が不意を突かれ、その流れで司令官のサンタ・アナまで捕まった。で、そのサンタ・アナは自分の命惜しさに、国にとっての損失なんかお構いなしで、テキサス独立を認める条約にサインしちゃう。
兵士が昼寝して、敵に備えるのを怠ったせいで、国の歴史でも指折りに重要な戦争に負けたんだからね。事実は小説より奇なりって、まさにこのこと。
24. 名無しのReddit住民(>>23への返信)
損害の差が信じられない。
メキシコ側は戦死650人、負傷208人、捕虜300人。テキサス側は戦死11人、負傷30人。
※ サンジャシントの戦い(1836年):当時メキシコ領だったテキサスの独立戦争で、アラモの戦いの後に行われた決戦。シエスタは、スペイン語圏の昼寝の習慣のこと。
25. 名無しのReddit住民
「もういいや!弾薬庫の防炎扉は全部開けっぱなしにして、砲塔には火薬を余分に詰め込んどけ!」
――ユトランド沖海戦の前、イギリスの巡洋戦艦に乗ってた命知らずども
26. 名無しのReddit住民(>>25への返信)
「今日はどうも、うちの船の具合がおかしいようだな」
――ビーティー提督(また一隻、弾薬庫が大爆発するのを目にしながら)
※ ユトランド沖海戦(1916年):第一次世界大戦で最大の海戦。イギリスの巡洋戦艦は装填の速さを優先して防炎扉を開け放ち、火薬を多めに置いていたとされ、被弾した砲塔の火が弾薬庫に回って爆沈する艦が相次いだ。ビーティーはイギリス巡洋戦艦部隊の指揮官で、この言葉は味方の艦が次々に爆沈する中で口にしたとされる。
27. 名無しのReddit住民
1942年の日本軍のミッドウェー作戦もそうかもしれない。作戦計画がとにかく複雑すぎたし、情報の扱いもひどかった。主力空母4隻をまとめて失ったことで、太平洋戦争の流れが大きく変わってしまった。
※ ミッドウェー海戦(1942年6月):暗号を解読していたアメリカ軍に待ち伏せされ、日本海軍が主力空母4隻を失った海戦。太平洋戦争の転換点とされる。
28. 名無しのReddit住民
カンナエの戦いで壊滅したローマ軍。戦える年齢の男の2割が死んだって言われてる。働き盛りの男の5人に1人が、たった1日の戦いでいなくなるって、想像しただけで背筋が寒くなるよ。
※ カンナエの戦い(紀元前216年):ハンニバル率いるカルタゴ軍が、数で勝るローマ軍を包囲して壊滅させた戦い。包囲殲滅戦の手本として今も語られる。
29. 名無しのReddit住民
ホラズムのムハンマド2世が、モンゴルの使者を殺して辱めたこと。あちこちに散らばった寄せ集めの軍じゃ、モンゴル軍の相手になるわけがなかった。世界史で一番怒らせちゃいけない相手に、自分からケンカを売ったようなもんだと思う。
※ ホラズム・シャー朝:中央アジアからイランにかけて栄えた王朝。1218年ごろ、チンギス・ハンが送った使節や隊商を殺害したことをきっかけにモンゴル軍の侵攻を受け、国は崩壊した。
30. 名無しのReddit住民
銀河帝国は、ホスの攻撃で3つの大きなミスを犯した。
まず、艦隊を惑星のすぐ近くでハイパースペースから出したせいで、反乱軍に即バレした。もっと遠くで出て、近くの小惑星帯に隠れながら接近すればよかった。
次に、足の遅い地上用のAT-ATを使うっていう、理解に苦しむほど悪い判断。TIEファイターの編隊を出したほうが、よっぽど効果的だったはず。
最後に、惑星の封鎖に回した艦の数が少なすぎて、イオン砲たった1門の援護だけで、反乱軍の輸送船が何隻も楽々と逃げていった。
ヴェイダー卿が自ら地上戦に加わったのも、失敗と見ることはできる。シールド発生装置を壊したあと、軌道上から基地を徹底的に砲撃するって選択肢がなくなったからね。ただ、反乱軍の指導者を捕まえるか仕留められたときの見返りを考えれば、ここは大目に見てもいい。まあ、それも結局うまくいかなかったんだけど。
総合すると、帝国の大負け。
※ 映画『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』(1980年)の冒頭で描かれる、氷の惑星ホスにある反乱軍基地への攻撃のこと。AT-ATは四本脚の巨大な地上兵器、TIEファイターは帝国軍の小型戦闘機。
まとめ
挙がった失敗を並べてみると、大きく二つの型に分けられる。一つは、相手を甘く見たまま始めてしまう失敗だ。ナポレオンのロシア遠征、バルバロッサ作戦、マッカーサーの北進は、どれも「短期で片付く」という見込みが崩れたところから泥沼に入っている。「冬のロシアで戦うのが悪い」というコメントに「始めたのは暖かい時期だ」と返しが入ったように、敗因は寒さそのものより、冬が来る前に終わらせるつもりだった計画の甘さのほうにありそうだ。
もう一つは、現場の思い込みや油断が命取りになる失敗だ。漁船を水雷艇と見間違えた艦隊、昼寝中に急襲された軍、防炎扉を開けっぱなしにした巡洋戦艦、港を出てすぐ沈んだヴァーサ号がこちらに入る。規模は小さくても、たった一つの判断ミスが国の運命まで変えてしまうところに、このテーマの怖さがある。
日本の読者として目を引くのは、日本海海戦、朝鮮出兵、キスカ島、ミッドウェーと、日本が関わった戦いが勝った側・負けた側の両方で何度も挙がったことだろう。日本海海戦の大勝がその後の過信につながったという指摘は、日本でもしばしば語られる見方だ。勝った経験が次の失敗の種になる、というのもこのスレッドから見えてくる教訓かもしれない。
一方で、アウステルリッツを「失敗というよりナポレオンが上手すぎただけ」とかばう声があり、オーストリアとオーストラリアの読み間違いからエミュー戦争に話が飛ぶ脱線もあり、最後は映画の帝国軍の作戦にまで本気のダメ出しが入る。重い歴史を語りながらも、軽口やツッコミが絶えないのがRedditらしいところだ。
皆さんが「これは歴史上最悪の判断だった」と思う出来事は何ですか?

コメント
東郷平八郎が「ネルソンと比べられるならまだ分かるが、李舜臣には遠く及ばない」と語ったというエピソードは、一次史料などの歴史的根拠が一切ない「創作(都市伝説)」w
「このエピソードが誇らしい」勢力の仕業です 哀れですね