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海外「かんしゃくを起こした息子に胸を飛び蹴りされて、診てもらったら乳がんが見つかった」がん経験者が語る”異変に気づいた瞬間”

海外「かんしゃくを起こした息子に胸を飛び蹴りされて、診てもらったら乳がんが見つかった」がん経験者が語る"異変に気づいた瞬間" ライフスタイル・日常

「がんを経験した人たちに聞きたい。自分の体に何か深刻なことが起きていると、最初に気づいたのはどんな瞬間だった?」海外の掲示板に立ったこの質問には、1700件近いコメントが寄せられた。つばを飲み込む喉の動きに目をとめたアレルギー科の先生、かんしゃく中の子どもの飛び蹴り、体の左側ばかり嗅いでくる犬。偶然に救われた人がいる一方で、何か月も「ただの肺炎」「アレルギーでしょう」と言われ続けた人もいる。経験者と、その家族の声を読んでいきたい。

なお、ここに並ぶのはあくまで一人ひとりの体験談だ。似た症状があるからといって同じ病気だとは限らないので、その点を心に留めて読んでほしい。

元スレッド:r/AskRedditより

海外の反応

1. 名無しのReddit住民
大声でお知らせします。心配性の人、不安になりやすい人は、今すぐ別のスレに移動してください。ご協力ありがとう。よい日曜日を!

2. 名無しのReddit住民(>>1への返信)
開く前に言ってくれて本当に助かった。マントを着けてないヒーローって、こういう人のことを言うんだと思う。

3. 名無しのReddit住民(>>1への返信)
お言葉ですが、僕はコメントを一件残らず読んでます。どんなにぼんやりした症状でも、自分に当てはまってないか確認するためにね。

4. 名無しのReddit住民
私はまったく自覚がなかった。アレルギー科の診察中、私がつばを飲み込むのを先生がじっと見てたんだ。ふつうの診察のはずが、その場でエコー検査を予約されて、結果は甲状腺がん。飲み込んだときに喉のしこりが動くのが見えたんだって。ただ、「なるならこれが一番マシなタイプだよ」とは言われた。

5. 名無しのReddit住民(>>4への返信)
いい先生に当たったね。うちも循環器の先生が、飲み込むときの喉を見て気づいてくれた。最初のエコーの技師さんは何も見つけなかったんだけど、先生が納得しなくてMDアンダーソンに回してくれて、そこで甲状腺の結節が3つ見つかった。幸い、全部良性だったよ。

※ MDアンダーソン:アメリカ・テキサス州ヒューストンにある、がん治療で有名な専門病院(MDアンダーソンがんセンター)。

6. 名無しのReddit住民
9歳のとき、急にお腹がとんでもなく痛くなって、父が病院に連れて行ってくれた。エコー検査をしてた女の人が、途中で息をのんで部屋を出ていった。5分後には部屋が人でいっぱい。父の顔が青ざめてた。誰も何も説明してくれなかったけど、父も私も、これは普通じゃない、何かすごくまずいことが起きてるって分かってた。肝臓に大きな腫瘍があったんだ。そこから4年間、手術と血液検査と抗がん剤の日々。当時の生存率は20%だと言われてた。それを2回乗り越えた。本当に運が良かったと思ってる。

7. 名無しのReddit住民
ずっと鼻づまりがひどくて、鼻で息をするのがつらかった。どの医者に行っても「アレルギーですね」。やっと耳鼻科の専門医にかかったらMRIを撮ってくれて、アデノイド(鼻の奥にあるリンパ組織)が腫れてると分かった。取ってもらって、念のため調べたらリンパ腫だった。鼻づまりの相談に行ってこれだよ。

8. 名無しのReddit住民
かんしゃくを起こしたよちよち歩きの息子に、胸を思いきり飛び蹴りされた。どこか折れたんじゃないかと思って診てもらったら、画像検査で乳がんが見つかった。見つかってから診断確定まで1週間。あのかんしゃくが、たぶん私の命を救ってくれた。

9. 名無しのReddit住民(>>8への返信)
子どものかんしゃくに感謝する日が来るなんて。息子さんが大きくなったら「あのときの飛び蹴りでお母さんは助かったんだよ」って教えてあげてほしい。反抗期にそれを持ち出されたら、もう何も言い返せないだろうな。

10. 名無しのReddit住民
私じゃなくて娘の話。何もかもが本当に突然だった。
娘は1歳1か月で、便秘気味だったから小児科の先生と相談しながら様子を見てた。そしたら元日の朝、激痛で泣き叫びながら目を覚ました。何をしても泣きやまない。そのうち脚がまったく動いていないことに気づいて、救急に駆け込んだ。数週間前に初めて歩いたばかりの子が、立つことも、歩くことも、脚を動かすこともできなくなってたんだ。
ステージ4の卵黄嚢腫瘍で、背骨に沿って広がって第1腰椎を骨折させ、その上下の椎間板まで壊してた。
半年ほど治療を受けて、この7月で寛解から5年になった。背骨のことがあるからぶつかり合うスポーツは一生できないけど、ほかの子と同じように走ったり泳いだりはできる。親としてそれ以上は何も望まないよ。
追記:こんなに反応があるとは思わなかった。温かい言葉をありがとう。今日は大切な人を、いつもより少しだけ強く抱きしめてあげて。娘を救ってくれたのはセント・ジュード。寄付先を探してる人がいたら、ぜひ候補に入れてほしい。

※ 卵黄嚢腫瘍:胚細胞腫瘍と呼ばれるがんの一種。セント・ジュード小児研究病院は米テネシー州メンフィスにある小児がんの専門病院で、寄付で運営され、患者の家族に治療費を請求しないことで知られる。

11. 名無しのReddit住民(>>10への返信)
1歳の子が急に脚を動かせなくなるなんて、どれだけ怖かったか想像もつかない。娘さんが走り回れるまでになって本当によかった。これからもずっと元気でいられますように。

12. 名無しのReddit住民
最初はひどい息切れだった。最悪のパニック発作みたいな感じ。それがゼーゼーと湿った咳に変わって、かかりつけ医が胸のCTを撮ってくれた。診断は肺炎。ただ、何か月経っても治らない。
3か月肺炎の治療を続けたあと職場で倒れて、上司が救急まで運んでくれた。そこで入院になった理由は、お察しのとおり「ただのひどい肺炎」。そこからさらに1か月入院して、やっとステージ4のリンパ腫だと分かった。その頃には肺と脳幹にまで広がってた。
きっかけは、ローテーションで回ってきた呼吸器科の先生が、検査結果と画像を全部見直して「これ、どう考えても変だよ。生検しよう」と言ってくれたこと。あの先生には命の借りがある。
ちょうどアメリカでコロナが本格的に広がり始めた時期で、どこも混乱してたから、時間がかかったことにはあまり腹を立てないようにしてる。それでも、たまにカッとなるけどね。専門家に話をさえぎられても、自分の体のことは自分で訴え続けないとだめだ。体が出してるサインを、ちゃんと聞いてあげて。

13. 名無しのReddit住民
食事の何時間かあとに、体を二つ折りにするほどの痛みが来るようになったのが始まり。調べたら、虫垂のすぐ先に腫瘍があって、そこで腸が詰まってた。大腸を3分の1切除したから、今の私はコロンじゃなくてセミコロン。あれから20年、まだまだ記録更新中!

※ 英語で大腸は「colon」。記号のコロン(:)と同じ綴りなので、大腸の一部を取った=「semicolon(;)になった」という言葉遊び。

14. 名無しのReddit住民(>>13への返信)
セミコロンで吹いた。このジョーク、20年かけて熟成させたのか、それとも手術の翌日から言ってたのか、そこがすごく気になる。

15. 名無しのReddit住民
母は、車まで歩くだけで疲れて、途中で座り込んで休まないといけなくなってた。それがだんだん頻繁になっていった。
本人はずいぶん苦しんでたのに、「私が怠けてるだけ」「体力がないだけ」って、自分のせいにしてた。
でも、白血病だった。2022年の10月に亡くなった。💔 お母さん、いなくなってからずっと途方に暮れてるよ。

16. 名無しのReddit住民
私じゃなくて、73歳のときの母の話。閉経してずいぶん経つのに、また下着に少し出血がつくようになった。診てもらった医者は「ホルモンのせい」で片づけて、ピルを出した。73歳の女性にだよ。それで悪化したから別のピルに変えて、それでも良くならない。挙げ句にお決まりの「体重を落として、治らなければ半年後にまた来てください」。
母が診断にたどり着けたのは、その医者が休暇に入って、代わりに来ていた先生に話したから。その先生はすぐ婦人科に回して、そこから腫瘍の専門医につないでくれた。ステージ3〜4の子宮体がん(子宮頸がんじゃない)。子宮を取って放射線治療も受けたけど、専門医は「ピルを出したのは大きな間違いだった」と言ってた。
母は転移したがんで亡くなった。最初の医者がちゃんと仕事をしてくれていたら、と今でも思う。73歳の女性に、ある日いきなり生理が戻ってくるわけがないんだよ。

17. 名無しのReddit住民(>>16への返信)
このスレ、「おかしいと分かってたのに医者に取り合ってもらえなかった」って人が多すぎて怖くなる。みんな本当につらかったね。
友達の友達も脳のがんで亡くなってる。慢性的な頭痛があって、何かおかしいって何度訴えても誰も信じてくれなかった。お金を貯めてようやく自費で民間の病院にかかったら、脳のあちこちにがんが広がってて、残された時間は数週間だった。もっと早く信じてもらえていたら、と思わずにいられない。

18. 名無しのReddit住民
14か15歳のとき、脚のひどい痛みが5か月くらい続いた。成長痛みたいな感じだったけど、どんどん悪化していく。変だったのは、座ったり横になったりしたときだけ痛くて、立って体重をかけると痛みが消えること。夜は平均2〜3時間しか眠れなかった。痛み止めも睡眠薬も効かない。
それでも本気でまずいとは思わなかったし、注目されるのが苦手だから親には一度も言わなかった。結局、きょうだいが親に「あいつが一晩中泣いてるから眠れない」と言ったことでバレた。調べたら、太ももの骨に腫瘍があった。

19. 名無しのReddit住民
食中毒に命を救われた。
もともと長年の胃腸トラブル持ちなんだけど、そのときは食中毒がひどくて高熱が出て、自分で運転して救急に行った。白血球の数値がとんでもなく高くて、腸に穴が開いてるんじゃないかと心配されてCTへ。点滴で抗生物質と水分をたっぷり入れてもらって、結局穴はなかったんだけど、帰り際に「月曜日に必ず消化器の主治医に電話してください」とものすごく念を押された。
長い話を短くすると、ステージ2の腎臓がんだった。腎臓の中にとどまってたから、準備する時間があって、数か月後に右の腎臓を摘出した。手術支援ロボット・ダヴィンチの名医を西海岸で探して、自分で電話したよ。
病理の結果が出るまで2週間くらい。そしたら、めちゃくちゃ珍しくて、進行がとんでもなく速いタイプだと分かった。主治医には「あのタイミングで見つけてなかったら、5年以内に亡くなってたと思う」と言われた。来年の6月で、がんがなくなってから10年になる。今でも90日ごとに血液検査をしてる。今の自分にとって、毎日がボーナスタイムなんだ。

20. 名無しのReddit住民
アラスカン・マラミュート(大型のそり犬)の保護施設で、1匹の犬が私の体の左側ばかり何度も何度も嗅いできたとき。2011年、卵巣がんだった。

21. 名無しのReddit住民(>>20への返信)
うちの犬も最近やたら同じところを嗅いでくるんだけど……いや、>>1の忠告に従って今日はもうスマホを置いて寝る。気になるなら明日病院に電話すればいいだけの話だしな。

22. 名無しのReddit住民
私は気づかなかった。プランクをしてたら胸がかゆくなって、かいたらしこりに指が触れた。よく言われるような兆候も症状も何もなかった。37歳で、その半年前には毎年の婦人科検診を受けてたけど、そのときは先生もしこりに気づかなかった。ステージ2Bのトリプルネガティブ乳がん。
私の場合、抗がん剤は比較的楽なほうで、抗がん剤と手術でうまくいった。でも、自分の体をもう一度信じるのは本当に難しい。治療が終わってから1年半で、心臓発作だと思って病院に駆け込んだのが3回。ありがたいことに毎回、治療の影響で出てきたもっと軽いものだった。甲状腺機能低下症、脂肪肝、喘息。どれも病気になる前には無縁だったものばかり。
それでも、今ここにいられることに毎日感謝してる。経験した人じゃないと分からないくらいのレベルでね。

※ トリプルネガティブ:乳がんを、がん細胞が持つ3つの特徴(2種類のホルモン受容体と、HER2というたんぱく質)で分類したとき、そのどれも持っていないタイプの呼び名。

23. 名無しのReddit住民
長くなるけど聞いて。
12月、昼寝から起きたら、なぜか鎖骨が痛い。鏡を見たら、そら豆くらいのしこりがあった。風邪を引いてもリンパ節の腫れなんて気づいたことがないタイプだから、ちょっと動揺した。ネットで調べたら怖いことばかり書いてあるし、2週間待っても腫れは引かない。
かかりつけ医は「2cmもないし、たぶん何かに反応して腫れてるだけ。念のため頭頸部の専門医を紹介するから、CTを撮っておいで」。CTでは首のリンパ節はやっぱり反応性の腫れだったけど、左右の肺のあいだあたりに影が見つかった。専門医はエコーを撮って「4週間後にもう一度見せて」と、あまり心配してなさそうだった。
4週間後、首のリンパ節のいくつかは形が変わってて(良くない変化らしい)、細い針で組織を取る検査をした。2日後に電話が来て、ホジキンリンパ腫、ステージ3。1月の半ばのことで、抗がん剤は7月に終わったばかり。
振り返れば、体調はずっと悪かった。疲れやすくて、夜は汗でシャツがびしょ濡れ、体もかゆい。でも、新しい職場に慣れてないせい、2歳の子の育児と夫のことでストレスがたまってるせいだと思ってた。どれも病院に行こうと思うほどじゃなかったんだよ。あのリンパ節が腫れてこなかったら、いつまで気づかずにいたか分からない。

24. 名無しのReddit住民
私の場合、自覚症状はゼロだった。定期検診で見つかったんだ。本当に何ひとつおかしいと思ってないのに、ある日を境に、あらゆる科から電話が鳴りやまなくなる。ある先生はそれを「通院疲れ」って呼んでたけど、診断されてからのあれは冗談抜きできつい。

25. 名無しのReddit住民(>>24への返信)
同じく、自覚なんてまったくなかった。定期検診で引っかかって、そこから先は一気に何もかもがひっくり返った。

26. 名無しのReddit住民
始まりは、夫が私の肩をさすりながら言った一言。「ねえ、この黒いところって前からあった?なんか変な感じだよ」
皮膚科に行って組織を取って調べてもらったら、メラノーマ(悪性黒色腫)と診断されて、1週間後には切除してた。
教訓:皮膚はちゃんとチェックしよう。見てくれる家族やパートナーがいるなら、自分では見えない場所を見てもらって。

27. 名無しのReddit住民(>>26への返信)
これを読んで、さっき夫に背中を見てもらった。特に何もなかったけど、「ほくろ多くない?」「そっちこそ」って言い合うだけの謎の時間になった。でも、見てくれる人がいるのってありがたいね。

28. 名無しのReddit住民
ひどいインフルエンザだと思ってた。とにかく異常に疲れてて。合唱団で出る舞台の練習スタジオの前に車を停めて、入口のドアまで歩ける気がしなかったとき、明日仕事が終わったら病院に行こうと決めた。
翌日出勤したら、上司が私の顔を見るなり病院に電話して、その日の午後に予約を取ってくれた。インフルエンザを疑って血液検査。夕方に電話がかかってきて、「そのまま病院に向かってください。向こうで待ってます」。
翌朝、急性前骨髄球性白血病っていう珍しいタイプの白血病だと告げられて、その30分後には抗がん剤が始まってた。臨床試験に参加できたから、2年かかるはずの治療が、週5日の抗がん剤8か月で済んだ。治療に使ったのはヒ素だのレチノイン酸だの、名前からしてえげつない薬ばかり。見つけてくれた人には一生感謝する。寛解まで1年、5年目に正式に完治と言われた。
払ったのは病院の駐車場代だけ。オーストラリアの医療制度には本当に感謝してる。それから、全血や血小板や血漿を合わせて200回分以上も提供してくれた献血者の人たちにも。自分も献血してたけど、受け取る側になるまで、あれがどれほど貴重でありがたいものか想像できてなかった。

※ オーストラリアには「メディケア」という公的医療保険制度があり、公立病院で公的患者として治療を受ける場合、原則として自己負担はかからない。

29. 名無しのReddit住民
ここにある話を読んで、ただただ頭が下がる思いでいる。私はこの話の反対側、裏方の人間なんだ。腫瘍や血液、骨髄を調べて、がんに関わる遺伝子の異常を見つける専門職をしてる。その結果を病理医や腫瘍内科の先生に渡して、診断や治療方針を決める材料にしてもらう仕事だ。
毎日、検体と数値と報告書に向き合ってると、ついそっちばかりに意識が向いてしまう。でもみんなの話を読んで、自分が扱う検体の一つひとつの向こうに、一人の人と、その家族と、ある日突然ひっくり返った人生があるんだと改めて思い知らされた。こんなに個人的な話を聞かせてくれてありがとう。この気持ちを持ってラボに戻るよ。

30. 名無しのReddit住民(>>29への返信)
検査の結果を出してくれる人たちがいることなんて、考えたこともなかった。私の検体を見てくれた誰かにも、この感謝が届いてるといいな。本当にありがとう。

まとめ

寄せられた体験談を並べてみると、「最初に気づいた瞬間」は大きく三つに分かれていた。一つは、本人より先に周りが気づいたケースだ。飲み込む喉の動きを見たアレルギー科の先生、肩の黒い点を指摘した夫、顔色を見てすぐ病院に電話した上司。子どもの飛び蹴りや犬の鼻まで含めて、「何か変だ」と感じた誰かがきっかけになっていた。二つ目は、異変を自覚していたのに長く見過ごされたケース。肺炎、アレルギー、ホルモンのせいと言われ続け、別の医師の「これは変だ」でようやく診断にたどり着いた人の話は、読んでいて苦しくなる。そして三つ目が、自覚症状がまったくないまま定期検診で見つかったケースだ。

もうひとつ気になったのは、本人が不調を「怠けているだけ」「仕事や育児のストレス」と自分で片づけてしまっていたことだ。疲れや寝不足は誰にでもあるだけに、どこで立ち止まるかの線引きは難しい。一方でスレの冒頭には「心配性の人は今すぐ引き返して」という呼びかけがあり、心配して調べた結果が良性だったという話も並んでいる。怖がりすぎず、かといって見て見ぬふりもしない。気になる変化が続くなら一人で抱え込まずに受診してみる、というあたりが、多くの経験者の実感に近いのだろう。

がんの遺伝子検査を担当する専門家の「検体の向こうに一人の人生がある」という言葉も含めて、重い話題でありながら、人に気づいてもらえることのありがたさが残るスレだった。皆さんの身近にも、ふとした一言で誰かの異変に気づいた人はいますか?

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