「旅行の荷物は全部積み終えたのに、車のキーを回すことだけがどうしてもできない」。海外掲示板で「大人になってからADHD(注意欠如・多動症)や自閉スペクトラム症(ASD)と診断された人へ。診断がついて、自分の何に説明がついた?」という質問が投げかけられ、当事者たちが自分の言葉で答えていた。やりたいのに取りかかれない、服の肌ざわりに一日じゅう消耗する、昇進するたびに燃え尽きる。「怠け者じゃなかったと知って泣いた」という人もいれば、「子どもの頃に誰かが気づいてくれていれば」と悔しさを語る人もいる。なお、ここに並ぶのは当事者それぞれの体験談で、診断の目安になるものではない。
元スレッド:r/AskRedditより
海外の反応
1. 名無しのReddit住民
ほぼ全部だよ。
前に友達が言ってたんだ。「診断がつくのが遅かった人は、ほとんど何もかもが、実はトレンチコートを着たADHDだったって分かるんだよ」って。まさにそのとおりだった。
※ 「トレンチコートを着た〜」は英語圏のネットでよく使われる言い回し。子どもが何人か肩車をして長いコートを着込み、大人1人のふりをするというお決まりのギャグが元で、「別のものに見えていたが、正体は〜だった」という意味になる。
2. 名無しのReddit住民(>>1への返信)
コートの中身を確かめてみたら、自分の「性格」だと思ってたものはまるごと、症状が3つ縦に積み重なってただけだった。
3. 名無しのReddit住民
自分の中で「例の、動けなくなるやつ」と名前を付けて呼んでた現象。
やりたいこと、やらなきゃいけないことがあって、準備も全部できてる。なのに、いざ始めるという最後の一歩だけが、どうしても踏み出せない。旅行の荷物を全部車に積み終えたのに、エンジンをかけるためにキーを回すことだけが物理的にできない、あの感じだ。
嫌な用事から逃げてるわけでもないんだよ。ゲームで遊ぼうとして、そのまま取りかかれなくなったことだって数えきれないほどある。その行動を起こすための星の並びが、まだ揃ってないってだけで。
で、これにはちゃんと名前があった。「実行機能の障害」っていうんだ! やろうとしてるのに取りかかれない、まさにあれのこと。ADHD、とくに不注意優勢型でよく挙がる困りごとらしくて、自分は33歳でやっとその診断がついた。
次点は、作業を順番どおりにこなすのが苦手なこと、万年の散らかし癖、しゃべってる途中で考えが別のところへ飛ぶこと。
※ 不注意優勢型は、ADHDのうち、多動や衝動性よりも不注意の面が目立つタイプを指す呼び方。
4. 名無しのReddit住民(>>3への返信)
同じく。心からやりたいと思ってることなのに、なんでどうしても手がつかないのか。動き出すだけで山をひとつ動かすくらいの力が要るのに、なんで誰にも通じないのか。やっと腑に落ちた。
「こっちだってしんどいよ」って返されるんだけどさ。うん、たぶん言いたいことは伝わってないと思う。
5. 名無しのReddit住民
服を買って、普通に着ていられたことが一度もなかったこと。
店でいいなと思った服を、サイズもちゃんと合わせて買う。でも着ていられないんだ。身につけているだけで、一日かけて神経がじわじわすり減っていく。家に着く頃にはもう限界で、全部脱いでひとりで横にならないと回復しなかった。きれいな服はみんな引き出しの奥に押し込んだまま。結局、くたびれたスウェットばかり何年も、ぼろぼろに崩れて着られなくなるまで着てた。
自閉スペクトラム症だと分かって、やっと気づいたよ。服がどれだけ可愛いかは関係なかった。服の形や生地の肌ざわりには、それだけで頭の中をかき乱してくるものがたくさんあるんだ。今は服を買うとき、見た目より先に「体にのせたときどう感じるか」を確かめてる。おかげで、着ていて楽な、ちゃんとした服がやっとひととおり揃った。
6. 名無しのReddit住民
頭の出来は人並み以上のはずなのに、新人が任されるような仕事より責任の重い仕事は、どれも長続きしなかった。その理由だね。
昇進すると、毎日話す相手が増えて、同時に回さなきゃいけない仕事も増える。自分はそれで不安がどんどん膨らんで、最後は燃え尽きてしまう。
今は病院で患者さんや物品を運ぶ搬送スタッフをしてる。昇進する予定は一切なし!
追記:今年、44歳で自閉スペクトラム症と診断された。
7. 名無しのReddit住民(>>6への返信)
自分はオフィス勤めを辞めて、配達のバンに乗ってる。後悔はゼロ。一日じゅう好きな音楽を聴いて、ときどき「荷物を届ける」というちょっとした邪魔が入るだけだよ。
8. 名無しのReddit住民
ずっと「自分は周りと違う」と感じてたわけが、やっと分かった。……本当に違ってたからだ。
あと、いわゆる「普通」の人の頭の中では、リスの大軍が24時間ぺちゃくちゃしゃべり続けてるわけじゃない、ってことも知った。
9. 名無しのReddit住民
ADHDと診断されて、「実行機能の障害」という言葉に出会った。大げさじゃなく、泣いたよ。自分は救いようのない怠け者ってわけじゃなかったんだ、と分かって。どの用事から手をつけるか決められずに、台所と洗面所と寝室とリビングをうろうろ行き来してしまうのも、頭が悪いからじゃなかった。
もうひとつ知ったのが「拒絶への過敏さ」。うまくいかないかもと感じた瞬間に全部投げ出そうとして、結局は自分で自分の足を引っぱってしまう。それがなぜなのか、これでつながった。診断前の大学1年のときがまさにそうで、高校の成績は4点満点中3.9だったのに、危うく落第するところだった。
「ごめん、今日は遊べない」と言われただけで、感情があふれ出して、すぐカッとなって、間髪入れずに自分をこっぴどく責め始める。あれにも全部説明がついた。友達を遊びに誘う自分は、根っから自分勝手で、ひどくて、人に依存しきった人間なんかじゃない。脳は自分を守ろうとしてくれてただけ。ただ、つまみをうっかり100まで回して、そのままへし折っちゃったんだ。
※ 「拒絶への過敏さ」は、断られたり否定されたりしたと感じたときに、気持ちが大きく揺さぶられてしまうことを指して使われる言葉。
10. 名無しのReddit住民
子どもの頃、周りにこう話してた。「自分は人間を調査するために地球へ送り込まれた宇宙人で、正体がばれないように人間の行動を真似しなきゃいけない。そんな気分なんだ」って。
その感覚は大人になっても消えなかった。ただ「人間のふり」がうまくなっただけ。でも、これがものすごく疲れる。
ふたを開けてみれば、それは自閉スペクトラム症だった。自分は「人間」を正しくやれていない、と子どもなりに分かってたんだよ。ちゃんと説明できる言葉を持つ前から、ほかの人とのつながりのようなものが、自分には欠けていた。
11. 名無しのReddit住民(>>10への返信)
うちの父は、自分が子どもの頃に「お前は野原で見つけて、連れて帰って育てたんだ」って冗談を言ったことがある。家族の夕食でふざけただけで、深い意味はなかった。なのに、その一言だけはずっと頭に残ってる。
今40代半ばだけど、「ちゃんとした人間」のやり方は、いまだにほとんどの場面で分からない。いろんなことを常に意識してしまって、そのスイッチが切れないから、たくさんのことを手動操作でやってる感じ。写真を撮るとき「笑って」と言われても、どこか本物じゃない気がする。隣にいるのが結婚20年の妻で、気持ちは本物でも、表情のほうだけは100%本物にならないんだ。
マスキングって本当に厄介だよ。この歳になってそれを外す練習をするのは骨が折れるけど、できなくはない! 今まわりにいる人たちは、たいてい前からうすうす気づいてて、自分の変わったところも受け入れてくれてる。気持ちを口に出して伝えるようにしたから、顔に出てなくても本心だって分かってもらえるようになった。
みんな知ってるんだ。どうでもいいと思ってたら、こいつは「お子さん、学校はどう?」なんて絶対に聞いてこない、って。※ マスキングは、周りに合わせるために自分の特性を隠し、「普通」に見えるようふるまうこと。
12. 名無しのReddit住民
山ほどあるけど、いちばん大きかったのは雑談ができないこと。あれはいまだに解読できない暗号だよ。
13. 名無しのReddit住民
学校の保護者面談は、毎回だいたいこんな感じだったらしい。「お子さんはクラスにいてくれて嬉しい生徒さんです。ただ、整理整頓がとにかく苦手で、それから字がひどいですね」。
それにはちゃんとわけがあったんだから、誰かがもう一歩踏み込んで調べてくれてもよかったんじゃないかな……笑。
2010年代の初め、10代の頃から、自分はADHDじゃないかと強く疑ってた。だから18歳で大学に入ってすぐ、自分で検査を受けに行ったんだ。それを知った母はものすごく怒って、検査のうち、子どもの頃の様子を家族から聞き取る部分をわざと妨げようとした。
たぶん母は、「この子はわざと失敗ばかりしている」という見方を手放せなかったんだと思う。それもひとつの発見だったよ。私は、どう頑張ってもまともにできない無能な人間なんかじゃなかった、ってこと。
※ 保護者面談は、先生が保護者に子どもの学校での様子を伝える場。「クラスにいてくれて嬉しい」は、英語圏の先生が授業態度のいい子をほめるときの決まり文句。
14. 名無しのReddit住民(>>13への返信)
うちの母の話も書かせて。母と一緒に、ADHDのある甥っ子と学校の話をしてたときのこと。自分がふだんやってる工夫をいくつか甥に説明してたら、母が「最近あなたが前よりずっとしっかりして見えるのは、そういう工夫のおかげなの?」と聞いてきた。
「いや、診断がついて薬を飲み始めたからだよ。自分にとっては人生が変わる出来事だった」と答えたら、母は、子どもの頃に治療を受けさせてやれなかったことを謝ってくれた。
今は自分も、ADHDと自閉スペクトラム症のある子の親だから、母の気持ちはよく分かる。どこまで治療を受けさせるのがちょうどいいのか、見極めるのは本当に難しいんだ。
15. 名無しのReddit住民
学校の勉強に集中しようとしてるとき、少しでも物音がすると取り乱しそうになってた。あのくらい刺激でいっぱいいっぱいになるのは、みんな同じだと思ってたよ。
そのうち、いわゆる「大人としてのちゃんとした仕事」に就いて、本物の責任を負うようになったら、もう限界。押しつぶされそうになるたびに体を丸めて、何もかもから逃げるようになって、とうとう専門家にかかるしかなくなった。
16. 名無しのReddit住民
自分の場合は、毎日やってたことのどれだけ多くが、ADHDをやりすごすためのものだったのか、ってこと。
今はもう、集中するためにあんなに大量のコーヒーを飲まなくていい。ごく普通の日常の用事をするのに、いちいち自分を奮い立たせる必要もない。ただ生きてるってことが、こんなに楽になるなんてね。前は何をするにも、大量の気合いや自分自身との駆け引きが要ったのに。
その裏側で、これまでの人生を振り返ってしまう。子どもの頃に分かっていたら、どうなっていただろうって。考え始めると、かなり暗いところまで沈むことがある。
17. 名無しのReddit住民(>>16への返信)
毎日コーヒーをポット1杯分と、タバコを半箱。中年になって診断がついて、あの生活にもやっと合点がいったよ。
18. 名無しのReddit住民
正直、ほとんど何もかも。
ああ、「だから」しょっちゅう物をなくすのか。「だから」妙にマニアックな趣味ばかり増えるのか。「だから」作りかけのものを最後まで仕上げられないのか。「だから」食べ物の食感に変なこだわりがあるのか。「だから」人の話を半分だけ聞き取って、残りは文脈で埋めてることがあるのか。変わった解決策を思いつくのが得意なのも、手で何かいじってないと落ち着かないのも、全部そこにつながった。
発達の特性って、その人の性格とほとんど切り離せないんだよ。それで、欠けてた最後のピースが見つかると、ばらばらだった小さな癖が、ひとつながりの絵の中にすとんと収まっていく。
大きな代償もある。子どもの頃に誰かが「一度でいいから」ちゃんと見て、気づいてくれていたら送れていたかもしれない人生。それを悼んで、怒ることに、ものすごく時間を使ってしまうんだ。私は女で、「女の子はADHDにならない」と思われてた時代に育った。それがもう本当に、悔しくて腹が立つ。子どものうちに診断されて、必要な支援や対処のしかたを身につけられていたら、今の人生は「ずっと」いい場所にあったはずだから。
19. 名無しのReddit住民
世の中の人が当たり前にやってることの中に、自分にはまるで意味の分からないものが山ほどあった。こっちにとっては、鳥肌が立つほど不快か、痛いくらいのことだったから。
たとえばハグ。「普通」の人は本当にハグが「好き」なんだと知って、衝撃を受けたよ。自分にはごくまれな例外をのぞいて、刺激が強すぎて不快なだけ。子どもの頃は親戚の集まりが憂うつだった。うちでは会うたびにハグをするのがお約束だったからね。
じっと目を合わせ続けること。口で言ってることと、本当に言いたいことがまるで違うこと。とくに最後のが大きい。自分は言葉を辞書どおりの意味で使ってるだけなのに、相手は別の意味を聞き取って怒り出す。何が気に障ったのか尋ねると、今度はそれを攻撃だと受け取られる。だから頭の中に「使ってはいけない言葉リスト」を持っておくしかなかった。
向こうも「わざと」自分を苦しめてたわけじゃなかった。そう分かって、ほっとしてる。
20. 名無しのReddit住民
四六時中ひとりでいても、まったく平気なわけ。「四六時中」は文字どおりの意味でね。母は昔から自分のことを「この子は自分だけの小さな世界に住んでる」と言ってたけど、大当たりだった。
人と連絡を取り続けるのがすごく下手なんだ。生活のあれこれを、頭の中で別々の箱に分けてしまい込むところがあるから。しばらくして相手のことを思い出して、申し訳なくなって、今度はそれが不安の種になる。
新しい趣味に次々手を出しては、少しでも上達したとたんに興味をなくすのも、同じところから来てた。
21. 名無しのReddit住民(>>20への返信)
うちの妻は友達がすごく多くて、そのグループでよく一緒に旅行する。自分が途中でふらっと抜けて、ひとりで本を読んだりしてることには、みんなもうすっかり慣れてくれた。最初のうちは「私たちのこと嫌いなのかな」と思われてたけどね。
22. 名無しのReddit住民
28歳で自閉スペクトラム症と診断されて腑に落ちたのは、人が自分に見せる反応が両極端なこと。途中までは好かれてるのに、ある地点でくるっとひっくり返って、こっちからすると理由もなく嫌われるんだ。
それと、耳から入った言葉を処理するのが苦手だったり、遅れたりすること。前はなんて呼べばいいのかも分からなかった。にぎやかな場所だと人の声がよく聞き取れないし、単語のつづりを一文字ずつ口で言われても、頭の中でなかなか組み立てられない。やりとりが速すぎて、何があったのか飲み込めるのは10分後、なんてこともある。
23. 名無しのReddit住民
不公平や不正がどうしても許せない自分の性分は、べつに道徳的な美点じゃなかった。それを受け入れたこと。同じように、考えすぎて何も決められず動けなくなる癖だって、べつに欠点ってわけじゃなかった。
こういう癖は、ただ「そういうもの」なんだよ。良いも悪いもない。同じ特性を持つ人のあいだでは、びっくりするほどよくある話らしいし。飲み込むまでのあいだ、解放された気分と、ぽつんと取り残された気分の両方があった。
24. 名無しのReddit住民
長くなるから箇条書きで。
・習慣を2〜3週間続けたあと、1〜2か月、そんな習慣があったこと自体を忘れる
・「いいからやれ」と自分を責め続けるあの苦しさ。慣性の法則みたいなもので、動いてるADHDは動き続ける。ソファの上のADHDは、とっくにトイレに行っておくべき時間を1〜2時間すぎても、そのまま動かない
・ほどよく気が散るものがあるほうが集中できる。音楽を流しておくと、退屈な作業もなんとかこなせる
・作業にかかる時間をまるっきり読み違える。サンドイッチを作る時間や、食洗機に食器を入れる時間を実際に計ったことがあるよ。頭が「30〜45分はかかる」と言い張ることがあるから
・診断の前の1〜2年、「偶然にしては自分に当てはまりすぎる」ネットの画像ネタを集めてた
・診断のあとで周りに話したら、ほとんどの人が「本人もとっくに知ってるんだと思ってた」という反応だった
診断後にADHDの掲示板をのぞいたら、自分が口に出したことのある文が、スレッドの題名やコメントにびっくりするほど並んでた。「誰だよ、うちの会話と頭の中を勝手に公開したのは」って思ったね。
25. 名無しのReddit住民
30代でADHDと診断された。
まず、感覚の過敏さ。それから、テレビは字幕がないと見られなかったし、会話でも相手の言ってることがうまく聞き取れなくて、しょっちゅう聞き返してた。昔から「頭のいい子」扱いだったのに、それ以上の何かを目指す意欲がどうしても湧かない。学校では、目標に向かってこつこつ努力する成績優秀者クラスの同級生たちが、宇宙人みたいに見えてたよ。
拒絶されるのが怖すぎて、友達に自分から連絡することができなくて、そのせいでますます友達が減った。腹が立ったときや不当な扱いを受けたと感じたときは、いつも泣いてしまってた。それが今は、落ち着いてはっきり自分の意見を言える。
最初にカウンセリングを受けて、それでずいぶん楽になった。そのあと薬を始めたら、私の場合は、まだ残ってた悩みも消えていった気がする。仕事中や普段の暮らしの中で、ふと「昔の自分が今の自分を見ても、同じ人間だと分からないだろうな」と思う瞬間があるんだ。
ここまで来た自分を誇りに思ってるし、もっと早く兆しに気づけていたらとも思う。でも、移民の両親のもとに生まれた女の子にとって、それはずっと後になるまで選べる道じゃなかった。
26. 名無しのReddit住民(>>25への返信)
書いてあること、全部自分にも覚えがある。とくに感覚の過敏さ。大きな出来事があるたびに、いまだに最後は泣いて気持ちを出し切らないといけない。受け止めるものが多すぎるから。
でも、まだ診断は受けてない。もし全部ただの思い込みで、本当はただの怠け者で、自分をなぐさめたり失敗の言い訳をしたりするために装ってるだけだったら……って、今も考えてしまうんだ。
27. 名無しのReddit住民
私は正式にADHDと診断されたわけじゃない。でも小さい頃は、本当にどんな些細なことでも、それをきっかけにとんでもない空想の世界へ飛んでいってしまう子だった。
困るのは、それが授業中でも、大事な指示を受けてる最中でも、人と話してるときでも起きること。相手も話の内容も、自分にとってすごく大切なのに、だよ。しかも相手の顔を見て、うなずいてはいるんだ。明かりはついてるのに、家の中には誰もいない状態。
女の子で、じっとしていられないタイプでもなかったから、この子には助けが要るのかも、なんて誰も考えなかった。両親はADHDなんて作り話だと思ってたしね。
ありがたいことに勉強はできたから、成績はかなり良かった。でも、本当はどこまで行けたんだろうとは思う。趣味や人づきあいどころか、食卓にごはんを並べて、子どもたちをまともな時間に寝かせるだけで、もうへとへと。
住宅地の管理組合には、どう伝えればいいんだろうね。「うちの芝生が荒れ放題なのは、あなたがたがそれに気づいていると知ってしまったからです。刈りなさいと言われた以上、私はもう刈れません。今後、私に何か指示したくなったら、どうか言わないでください。ちょうど今やろうとしてたところだったので!」
というわけで、いよいよ向き合うときが来た。ここまで44年かかったよ。
※ 米国などの戸建て住宅地には、住民でつくる管理組合(HOA)があることが多く、芝生の手入れなどの決まりを守らない家には注意の通知が届く。
28. 名無しのReddit住民
半年ほど前にADHDと診断された。でも正直、今もまだ半信半疑なんだ。専門家2人から、事実上そう診断されてるのにね。
心当たりはある。大学では授業の1割くらいしか出席しなかった。成績はかなり良かったから、ADHDの人がみんな成績で苦労するわけじゃないんだけど、とにかく授業中じっと座っていられなかった。ロースクール(法科大学院)でも同じ。今の職場でも、会議で人の話に集中するのがすごく難しくて、上司との1対1の面談中でさえ、スマホで何か読んだりサイトを眺めたりしてる。
夫には「話を聞いてない、散らかす、すぐ忘れる」と文句を言われる。全部本当なんだけど、夫はそれを「自分のことを大事に思ってない証拠」だと受け取ってる。
ただ、私は43歳。どうしても考えてしまうんだよ。これって単に、スマホの見すぎとか、授業が退屈だったとか、話し相手にあまり興味が持てないとか、それだけの話じゃないの? って。ゲームみたいに、いくらでも没頭できるものもあるわけだし。
診断でいろいろ説明がつくのは確か。薬を飲むようになって、疲れやすさも確かにましになった。でも、人の話に集中できるかどうかは、私の場合あまり変わってない。これは本当にADHDなのか、それとも単に私がこういう人間なだけなのか。まだ疑いは消えてないよ。
29. 名無しのReddit住民(>>28への返信)
あのね、あなたが書いた自分の姿、ADHDのある私の元彼と「そっくりそのまま」同じだよ。当時の私は、なんで彼がやるべきことをさっとやれないのか、なんで人の話を身を入れて聞けないのか、知らなかったし理解もできなかった。彼の部屋は昔も今もぐちゃぐちゃ。いろんなことをすぐ忘れるのに、自分の好きなことだけは忘れない。作りかけのものやゲームには、それが本業かってくらい没頭してた。
スマホのせいにしなくていいよ。スマホがなければ、脳は別の何かに食いつくだけだから。
それと、うん、「単に自分がこういう人間なだけ」で合ってるよ。その「こういう人間」の中に、ADHDが入ってるんだから。
30. 名無しのReddit住民
自分という人間の土台は、100%「怠け癖と失敗を、周りの全員から隠し通すこと」でできてた。何をするにも、生活の苦しさも不安も落ち込みも固くしまい込んで、自分がどれだけぼろぼろなのか、誰にも見えないようにするのが目的だった。
高校を出てからは、2〜3年おきに、決まって気持ちがひどく暗い場所まで落ちていった。「お前はどうしようもない役立たずで、誰にも好かれない。頑張るだけ無駄だ」という声が響く、深い穴の底。そこから戻るのに、だいたい3か月かかる。それも自分という人間の一部なんだと、ずっと思ってた。将来を思い描いたことは一度もなくて、次の1年をどう生き延びるかしか考えてなかった。
実行機能の障害、マスキング、燃え尽き。そういう言葉を知ったことで、文字どおり人生が変わったし、救われた。
分かったんだ。自分は壊れてるわけでも、宇宙人でも、役立たずでも、場所をふさぐだけの人間でもなかった。この脳は、社会が期待するとおりには動かない。ただそれだけのことだった。
まとめ
集まった声に共通していたのは、診断名そのものより、「怠けている」「性格が悪い」「変わっている」と自分に貼ってきたラベルを貼り替えられた、という安堵だった。やりたいのに取りかかれない現象に名前があったと知って泣いた人、肌ざわりを基準に選ぶようになってやっと着られる服が揃った人、昇進しない働き方を選んで落ち着いた人。理由が分かったことで、自分を責める代わりに、やり方のほうを変えられるようになった体験が目立つ。
一方で、「子どもの頃に誰かが気づいてくれていれば」という悔しさや怒りも、繰り返し語られていた。診断から半年たっても半信半疑の人、「本当はただの怠け者だったら」と考えてしまって検査を受けていない人もいて、受け止め方はひとつではない。同じ診断名でも困りごとは人それぞれで、ここにある話に覚えがあるからといって、それだけで何かが決まるわけでもない。
日本でも「大人の発達障害」という言葉を見聞きする機会が増えた。「努力が足りない」のひと言で片づけてきたことの中に、別の説明がつくものがあったとしたら、自分や周りの人への見方は少し変わるのかもしれない。皆さんは、長年「これは自分の性格だ」と思ってきたことに、あとから別の説明がついた経験はありますか?

コメント