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海外「トヨタを買え」シボレー販売店の経営者が死の床で言った一言…看護師や医師が忘れられない臨終の告白とは

海外「トヨタを買え」シボレー販売店の経営者が死の床で言った一言…看護師や医師が忘れられない臨終の告白とは ライフスタイル・日常

死を目前にした人が、家族にも言えなかったことを最後に打ち明ける。そんな場面に立ち会うことのある看護師や医師に向けて、海外掲示板で「忘れられない臨終の告白は?」と尋ねたスレッドです。暴力をふるう夫を殺して家の敷地に埋めたと明かしたおばあさん、70代から麻薬カルテルの運び屋をしていたという92歳の男性、そしてシボレーの販売店を経営していた男性が死の床で言った「トヨタを買え」。医療や介護の現場の人だけでなく、家族を看取った人たちからも、重い打ち明け話と思わず笑ってしまう本音が集まりました。

元スレッド:r/AskRedditより

海外の反応

1. 名無しのReddit住民
ホスピスケアを受けていたおばあさんの話。もういつ亡くなってもおかしくない状態で、子どもや孫たちがちょうど帰ったところだった。そしたら「みんな帰ったから、ひとつ話をしたいの」って言うんだ。こっちは人の話を聞くのが大好きだから「ぜひ」と答えた。
彼女の夫は、殴るだけじゃなく、ありとあらゆる形で彼女を痛めつける人だったらしい。それでもずっと耐えてきたけど、3人いる娘のひとりにまで夫が矛先を向けたのに気づいて、それで限界が来たと。夫が酔いつぶれるのを待って家の外に連れ出し、殺した。遺体は自分の家の敷地に埋めて、その場所も私に教えてくれた。夫の失踪届が出たあと警察も少しは調べたけど、有名な酒浸りで暴力的な男だったし、1950年代のメイン州(アメリカ北東部)じゃ警察の人手も足りなくて、たいした捜査はされなかったそうだ。彼女はその話をしてまもなく亡くなった。
娘さんに電話で伝えたら、驚かなかった。きょうだいみんな、たぶんそういうことだろうと思ってたって。埋めた場所を知りたいか聞くと「知りたい」と言うので、教えたら、「それで全部つじつまが合う」と言われた。家の周りをぐるっとポーチが囲んでるんだけど、お母さんはいつも正面じゃなくて家の横手に座ってたらしい。椅子が向いてたのはいつも、2本の木と、そのあいだにある小さな花壇のほう。お母さんは小さな揺り椅子に座って、その花壇を眺めるたびににっこりしてたんだって。
個人的にいちばん狂ってると思ったのは翌日のこと。母親の身の回りを片付けに来た娘さんがその花壇の写真を見せてくれて、「母はこれを何年も手入れしてたの」って言ったんだよ。

※ アメリカのホスピスは専用の施設だけでなく、自宅や介護施設で受ける終末期ケアの仕組みも指す。

2. 名無しのReddit住民(>>1への返信)
これだよ、これ。スレタイが求めてたのは、まさにこういう正真正銘の臨終の告白だよ💐

3. 名無しのReddit住民
うちの祖父は筋金入りのカトリックで、生涯ずっと厳格な信者だった。その祖父が死の床で打ち明けたのが、「祖母と避妊をしていた」ってこと。カトリックでは本来やっちゃいけないことなんだよ。
自分はその頃にはもう無神論者だったけど、それを聞いて腹が立つやら悲しいやらだった。祖父母は責任ある大人として当たり前のことをしただけなのに、そのせいで自分の魂が危ないと祖父は感じてたんだから。

※ カトリック教会は教義上、ピルや避妊具を使った避妊を認めていない。

4. 名無しのReddit住民(>>3への返信)
長期療養施設で看護師をしてる。ホスピスケアを受けてたおじいさんがいて、奥さんは片時もそばを離れなかった。私は夜勤だから、座って奥さんと話す時間があったんだ。
奥さんは16歳のとき、初めての経験で妊娠したそう。カトリックの家で育って、体の仕組みを何ひとつ知らなかったらしい。母親からは改まって「あなたにはほとほと失望した」と言われたって。赤ちゃんが生まれる直前に彼が18歳になって二人は結婚し、お腹が目立ち始めた彼女は学校をやめるしかなかった(そもそも当時は、結婚した女性は学校に通えなかったらしい)。
だから娘たちが男の子を気にし始めると、ひとりずつ医者に連れて行ってピルを処方してもらったんだって。もしこれがもっと後の時代のことで、教育を受けて仕事を持てていたら、とっくに離婚してたとも言ってた。想像もつかないよ。でもね、本人にも言ったんだけど、娘さんたちや私たちの世代が彼女と同じ人生を押しつけられずに済んだのは、彼女みたいな女性たちがいたからなんだよ。

5. 名無しのReddit住民
告白とはちょっと違うけど、在宅介護の仕事をしてた頃、ホスピスケアの患者さんを何人か受け持った。そのひとりが、アメリカ南部の広大な屋敷にひとりで暮らすおばあさん。上品で物腰のやわらかい、いかにも南部のおばあちゃんって感じの、本当に優しい人だった。結婚した子どもが4人いて、みんな割と近くに住んでて、全員が大成功してた。
彼女は目が見えなくて、体も弱って、車椅子で、いつも痛みを抱えてた(顔には出さなかったけど)。そして家族を心から愛してた。なのに子どもや、その配偶者や、孫たちが訪ねてくるたびに、ひとりが彼女の気を引いて、そのすきに別のひとりが家の中をうろついて物を盗んでいくんだ。医者だの弁護士だの、そういう人たちなのにだよ。
彼女は明るく手を振って見送って、車が見えなくなった瞬間に深呼吸して、「あの子たちがどの部屋に入ったか教えて」と私に頼む。それから何がなくなったかを探すんだ。小さくすすり泣きながら「でもあれは母の形見だったの。母のもので残ってたのは、あれだけだったのに」なんて言うのを、黙って見てるしかなかった。
ある日、彼女がひどく痛がってた(息子の妻が「うちの家系は依存症が出やすいから」と言って、私の勤め先に痛み止めを減らせと要求してたんだ)。彼女はとうとう泣き崩れて、子育て中心の昔ながらの生き方にすべてを捧げてきたのに、人生がまるごと無駄で無意味だったように思えると打ち明けた。両親が亡くなってから、誰かに愛されたことなんて一度もないと思うって。夫にも、すべてを犠牲にして育てた子どもたちにも。そして、あなたはまだ若くて時間があるんだから、私の失敗から学んで自分のために生きなさい、「時代は変わっていくんだから」って。
本当に、本当に孤独な人だった。何年も経ったけど、あの意地汚くて金持ちで身勝手なハゲタカどもが、錆びた釘でも踏めばいいと今でも思ってる。

6. 名無しのReddit住民(>>5への返信)
悲しすぎる。
皮肉なことに、最近ずっと、自分は結婚も子どもも持てないまま終わるんじゃないかって不安だったんだ。このスレを開いたときも、独り身で生きていく怖さがますます強くなるような話ばかりだろうと思ってた。もしかしたらこの話は、今の自分に届くべくして届いたのかもしれない。

7. 名無しのReddit住民(>>5への返信)
たぶん夫から虐げられてて、子どもたちも母親をそう扱うように夫から教え込まれてたんだと思う。だからって、いい大人になった子どもたちのやったことが許されるわけじゃないけど。
問題は結婚や子どもを持つことじゃなくて、虐待なんだよ。虐待はどんな関係にも入り込む。職場の人間関係にだってね。

8. 名無しのReddit住民
92歳のおじいさんが、麻薬カルテルのためにドラッグを運んでた話をしてくれた。車でメキシコとの国境を越えたりなんだり、70代から80代前半までずっとやってたって。30歳の奥さんと10歳の子どもがいるとも言ってた。せん妄だろうと思って聞いてたら、本当に30歳くらいのメキシコ人の女性と10歳の息子さんが見舞いに来たんだよ。
追記:みんながクリント・イーストウッドの映画の話をしてるから観てみるよ。でもこれは2014年の話で、あの映画が出る何年か前なんだ。

※ クリント・イーストウッドが監督・主演した2018年の映画『運び屋』のこと。90歳近い老人が麻薬カルテルの運び屋になる話で、実在の人物がモデルになっている。

9. 名無しのReddit住民(>>8への返信)
これ、懺悔っていうより最後の自慢話に聞こえるんだけど。胸のつかえを下ろしたいっていうより、むしろ得意げじゃない?

10. 名無しのReddit住民
臨終の告白じゃないんだけど、緩和ケアの看護師として、亡くなっていく若いお母さんの手を握っていたことがある。彼女は息子を抱きしめたいと泣いて訴えたけど、息子はまだ4、5歳くらいで怖がってしまって、父親は病院に連れてこなくなってたんだ。父親も本当に板挟みで、病室の外に立ってむせび泣いてた。見ていてつらかった。
あの子のことは今でもよく考える。もう20代になってるはずだ。お母さんがどれほど自分を抱きしめたがっていたか、知っていてくれたらいいなと思う。

11. 名無しのReddit住民(>>10への返信)
うちの父は亡くなる前、自宅に介護用ベッドを入れて過ごしてた。4歳の息子は怖がって近寄ろうとしなかったんだけど、父が亡くなる前の晩、自分からベッドにもぐり込んで、ぎゅーっと抱きついて「大好き」って言ったんだ。父があんなに嬉しそうに笑ったのは見たことがない。
会いに行くのをやめなくて、本当によかった。

12. 名無しのReddit住民
看護師になって最初の職場は老人ホームだった。認知症がかなり進んだ優しいおばあさんがいて、いつもきちんとしてて上品で、「私はそういうふうに育てられましたから」って感じの人だった。
亡くなる少し前、車椅子でナースステーションにいてもらってたときに、20代前半はストリッパーだったって話を始めたんだ。時代でいうと1950年代のどこかだと思う。話してるうちにすっかり乗ってきて、体を揺らして踊ってみせようとしてた。最高に笑った。

13. 名無しのReddit住民
ホスピスで働いてたとき、アメリカに住むドイツ出身のおばあさんから、第二次大戦のあと南米に移らなきゃいけなかった話をたくさん聞いた。ほとんど掘っ立て小屋みたいな家で5、6人の子どもを抱えて、最初のうちは本当にひどい暮らしだったって。
しばらく聞いてるうちに、ようやく話がつながった。旦那さんがナチスの将校で、戦争犯罪で訴追されないように一家で逃げてたんだ。
追記:最初「迫害を逃れるため」って書いてた。「訴追を逃れるため」の間違い。全然意味が違う。

※ 第二次大戦後、戦犯としての訴追を逃れるため、アルゼンチンなど南米へ渡ったナチス関係者は少なくなかった。

14. 名無しのReddit住民(>>13への返信)
「しばらく聞いてるうちに」🤔
戦後にドイツ人が南米へ逃げたって聞いた時点で、こっちは即ナチスだと思ったけどなw

15. 名無しのReddit住民
肺がんで亡くなった49歳の男性。子どもが5人いた。目が乾ききって、もう涙も出ない状態で最後に口にした言葉が、
「クソったれのタバコめ」
15年前、臨床実習1年目のときの話。

16. 名無しのReddit住民(>>15への返信)
タバコはもう何年も前にやめた。そのあと電子タバコを3年半吸って、それもやめてたんだけど、最近旅行に行ったのをきっかけにまた吸い始めて、そのまま5か月。もう一回やめてちょうど1週間で、正直かなりきつい。
この話、今の自分には必要だった。このまま記録を伸ばすよ。

17. 名無しのReddit住民
看護師じゃないけど、うちの祖母が人生の最後に明かした大きな秘密は、40年間毎年クリスマスに焼いてくれてたフルーツケーキが、実は自分では好きじゃなかったってこと。私たちが好きなんだと思い込んでたらしい。で、こっちも本当は好きじゃなくて、どっちも相手に言い出せなかったんだよ。

※ アメリカのクリスマスのフルーツケーキは、ドライフルーツやナッツをぎっしり詰めた、ずっしり重いケーキ。「もらっても誰も食べない贈り物」の代表として、よくネタにされる。

18. 名無しのReddit住民(>>17への返信)
🤣😂 そもそもフルーツケーキを本気で好きな人って、この世に存在するの???

19. 名無しのReddit住民
ホスピスの看護師を10年やってた。シボレーの販売店を経営してた男性を受け持ったんだけど、その人が死の床で言ったのが「トヨタを買え」。

※ シボレーはアメリカのGM(ゼネラルモーターズ)の大衆車ブランド。その販売店の経営者が、最後にライバルの日本車を勧めたという話。

20. 名無しのReddit住民(>>19への返信)
これは声出して笑った。ちなみに自分が乗ってるのはトヨタ。どうやら正しい選択をしてたらしい。

21. 名無しのReddit住民
「実はスパイだった」と打ち明けたおばあさんがいた。それまでも、ちょっとした話の端々から「絶対スパイだったでしょ」ってよく冗談で言ってたんだ。そしたら本当に、第二次大戦中にカナダのために暗号解読をしてて、酒場で酔った兵士たちが機密をぽろっと漏らすのを盗み聞きしてたって。家族にも確認したけど、本当の話だった。

22. 名無しのReddit住民(>>21への返信)
友達がワシントンD.C.のスパイ博物館に行ったら、第二次大戦中に日本の暗号を解読するのに使われた機械を操作してる女性の、等身大の写真が展示されてたんだって。
その写真の女性、友達のお母さんだったんだよ。

23. 名無しのReddit住民
動物看護師でもいい? 飼い主さんと一緒に、その人の犬の安楽死に立ち会ったとき、飼い主さんが犬に「あなたが養子だってこと、ずっと言えなくてごめんね」ってささやいたんだ。旦那さんが吹き出して、私はいったん部屋を出るしかなかった。

24. 名無しのReddit住民(>>23への返信)
それは傑作だ。獣医をしてるけど、動物がどう旅立つかは(ある程度)予想がついても、飼い主さんとその場の状況は本当に何でもありなんだよ。曲の決まった一節が流れるまで最後の注射を待ったこともあるし、深呼吸の時間をとったこともあるし、カトリックの臨終の祈りを唱えてくれる人とのビデオ通話がつながるのを待ったこともある。腕のいい看護師さんがいなかったら、ずっと大変だと思う。いつもありがとう!

25. 名無しのReddit住民
ICUの看護師をしてて、10年くらい前、90歳を超えた男性の透析をしてたときの話。循環器の主治医から、あなたの心臓は透析をやめても、続けてももたないと告げられてた。透析のたびに、何をしても血圧が下がりすぎてしまうんだ。たまたま私もその説明の場に居合わせた。
男性には、望むなら透析を途中でやめてもいいという選択肢が示された。でも彼は、もうすぐ着く息子が来るまで続けたいと言った。息子に伝えなきゃいけないことがあるって。
アイオワ州の実家の農場にまだ住んでる息子さんが着くと、父親は「1933年に作った、牛の水飲み用のコンクリートの水槽の下に金(きん)が埋めてある。そろそろ掘り出す時だ」と言った。息子さんは父親が混乱してると思ったみたいで、「はいはい、わかったよ」と流してた。でも父親が何度も繰り返すから、息子さんもだんだん本気にし始めた。
本当に金があったのかはわからずじまい。でもあのおじいさんは、最後の力を振り絞ってそれを息子に伝えたんだ。

26. 名無しのReddit住民(>>25への返信)
それ、たぶん大統領令6102号がらみだよ。1933年にルーズベルト大統領が、国民が持ってる金の大半を政府に差し出させたやつ。ドルが切り下げられる前の1933年は、金が1オンス21ドルくらい。標準的な金の延べ棒1本が当時8,000ドル前後で、今なら160万ドルを超える。あの人の父親か祖父は、家族のためにいい仕事をしたってわけだ。

※ 大統領令6102号:1933年にフランクリン・ルーズベルト大統領が出した命令。国民に、金貨・金塊・金証券の大半を連邦準備銀行へ引き渡すよう義務づけた。

27. 名無しのReddit住民
あるおばあさんが最期に、いちばんかわいいのは息子だと言った。ずっと介護して、そのとき枕元にいたのは娘さんのほうだったのに。

28. 名無しのReddit住民(>>27への返信)
うちの母もまったく同じことを言ってた。介護してたのは私と女きょうだいの二人で、男きょうだいはたまに顔を出すだけ。それでも母は、その息子のことを「私のたったひとりの子ども」って呼んでたよ。

29. 名無しのReddit住民
Redditのアルゴリズムめ……。
自分は緩和ケアを受けてる側で、たぶん残り1年くらい。10年以上、がんと闘っては落ち着いてを繰り返してきたけど、とうとう追いつかれた。
まだ臨終の床でもホスピスでもないし、打ち明けることも特にない。仮にあったとしても、それを誰かに背負わせたりはしない。逆に誰かが自分にそんなことをしようとしたら、さっさとその部屋から逃げ出すね。
言えるのは、身の回りのことは早めに片付けておけってことだけ。体が動く貴重な数か月を、あれこれの整理でつぶすのは本当にしんどいから。
それにしても、なんでこの手の投稿ばっかり流れてくるんだ。新しい車を買うと、急に街じゅうで同じ車が目につくのと同じだな。

30. 名無しのReddit住民(>>29への返信)
緩和ケア病棟で働いてる看護師です。このスレにはドラマみたいな告白ばかり集まってるけど、私が最後に聞く言葉は「家族は大丈夫?」とか「喉が渇いた」とか、そういうのがほとんど。何も打ち明けないまま穏やかに逝く人のほうが、ずっと多いと思う。
身の回りの整理の話は本当にそのとおりで、元気なうちに済ませた人ほど、最後の時間を家族とゆっくり過ごせてる気がする。どうか、いい数か月を過ごせますように。

まとめ

「臨終の告白」と聞くと重い秘密を想像しますが、集まった話は大きく3つに分かれていました。ひとつは、暴力をふるう夫を殺して敷地に埋めた話、夫がナチスの将校だったと分かる話、戦時中の暗号解読、農場に埋めた金のように、何十年も胸の内にしまってきた秘密です。ふたつめは、40年焼き続けたフルーツケーキが実は好きではなかった、シボレーの販売店主が「トヨタを買え」と言った、といった最後だからこそ言えた本音で、こちらには笑える話が多くありました。3つめは、避妊を罪だと感じ続けた祖父や、子どもたちに物を盗まれ続けた南部のおばあさんのように、告白というより、その人が背負ってきた時代や家族の重さが見える話です。息子を抱きしめられないまま亡くなった若い母親のように、告白ではなくても看取った側の心に残り続ける場面も語られました。一方で、余命1年ほどだという人の「打ち明けることがあっても誰かに背負わせたくない」という言葉や、「懺悔というより自慢話では」という突っ込みもあり、最期の打ち明け話を美談としてだけ受け止めない人もいました。日本語には「墓場まで持っていく」という言い方があります。皆さんなら、最期に誰かに打ち明けますか? それとも墓場まで持っていきますか?

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